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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その9) 帰国まで [欧州鉄道旅行]

ウェイク・アップ・コールに起こされて、そそくさと支度。朝食も料金に含まれていましたが、睡眠時間重視で、パス。何しろ、ケルンの到着時刻は6時15分頃なのです。どうやら列車は予定通り走っているようでした。支度が済んでカーテンを開けて景色を眺めると、もうすぐにライン川を渡り始めました。6月に何度も行き来した鉄橋を渡っています。なんだか、1周して帰って来たかのようで、これにはいたく感動しました。

無事ケルンで夜行列車を下車。ここで朝食をとる前に、一つ確認することがありました。ケルン駅の発車案内を見ると、乗車予定のICEは確かにブリュッセルの南駅行きでした。しかし、私が切符を手配した頃は、ICEはブリュッセルの北駅止まりだったようで、チケットの行先もそのようになっています。ブリュッセルではユーロスターに乗るので、南駅まで行ければそれに越したことはないので、駅の窓口で確認してみることにしました。ICEの出発時刻まで1時間半もあるので、時間は十分です。聞いてみると料金が同じだから、南駅まで乗って行っても全く問題ないとのこと。まあそんなことだろうと思いつつも、日本人だから事前に確認しておいたほうが、何かと安心というもの。

それでようやく落ち着いて、窓口の向かいにあったスターバックスでクロワッサンを朝食に少しくつろぎました。その間、トイレに行こうと思いましたが、行ってみたら案の定料金を取られるのでここでは止めて、スターバックスに戻る際に駅前のケルンの大聖堂を一眺め。6月に来た時のことを懐かしく思い出します。

その間に、ICEの1等のチケットを持っていればファースト・クラス・ラウンジが利用できることを発見し、そちらへ移動。トイレもそこのを借りたのでした。せこい。

6月にケルンに来たときは、帰路はThalysを利用したので、今回はわざわざ選んでICEにしました。そのため、ケルンでの待ち時間も長くなり、ユーロスターの接続もあまり良くなかったのですが・・・ICEの乗り心地も快適で、車内はむしろ明るく、新聞などを読むならこのほうがいい感じ。スピードは変わりません。

何度もこれまでにやって来たブリュッセル南駅も今日が最後です。イギリスの入国審査官が、私たちが1年イギリスに滞在した後に、数日したら日本に帰国すると知ると、なんとも悲しげな表情を浮かべました。震災のためでしょう。

そして待合室では、これまた何度も寄ったピエール・マルコリーニに寄って、11月にそこで買ったチョコレートの箱と中身が一致していなかったので変えてもらいました。こういうことって、日本ではほとんどありえないと思うのですが、さすがにイギリス生活1年を経て、驚かなくなりました。というか、またか! って感じ。そして、最後だからとこれは日本に持って帰るつもりで、いくつか買い足します。

こうして、なんとも複雑な中欧四都市巡りは終了したのでした。

日本に帰国後、今回の訪問地に関連のある本をいくつか読みましたので、ここで紹介します。

「ハプスブルク三都物語」

ハプスブルク三都物語 - ウィーン、プラハ、ブダペスト (中公新書)

ハプスブルク三都物語 - ウィーン、プラハ、ブダペスト (中公新書)

  • 作者: 河野 純一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2009/11/26
  • メディア: 新書


「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

名画で読み解く ハプスブルク家12の物語 (光文社新書 366)

  • 作者: 中野 京子
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/08/12
  • メディア: 新書


「フェルメール全点踏破の旅」
来年はフェルメールの展覧会がいっぱい予定されていますね。見たものも見ていないものもまとめて全部見に行くつもりです。

フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)

フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)

  • 作者: 朽木 ゆり子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/09/15
  • メディア: 新書


さて、この旅行から帰国した翌日に最後の引越荷物の搬出を終え(8時から17時の間と言われ、結局15時ごろ来ました・・・いらいらする)、その2日後にはイギリスを発ちました。慌ただしくて、暮らした街を味わう予定だった最後の1週間を失いました。(旅程の変更から来る経済的な損失も被りました。)

それでも、事故や事件に巻き込まれることなく、健康に1年間過ごし、旅行に関して言えば、バルセロナ-パリ間のキャンセルを除き、すべて予定通り遂行することができたことは、無宗教の私でも神に祈りたいほど。日本を発つ前には全く想像もしていなかった土地にまで足を運ぶことができ、幸運でした。今年のヨーロッパ情勢を思うとなおのこと、その思いが強くなります。

そして最後に(last but not least)、ずっと読んでくださった方には御礼申し上げます。遅々として進まず、もう年も変わろうという頃になってようやく書き終えることができました。今後、ヨーロッパに個人旅行で行かれる方にとって、少しでもご参考になれば幸いです。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その8) ドレスデン観光 [欧州鉄道旅行]

数年前の雑誌の特集で、第2次世界大戦の傷跡から見事に復活したドレスデンという記事と写真を見て、いつか行ってみたいと思っていたのですが、プラハからこうして列車で来るなんて思いもよりませんでした。結局、イギリスへの再入国をユーロスターによる陸伝いに限ったことで、ドイツを中心に走っている夜行列車を活用することになり、その路線図などを見ていくうちに、どうせならドレスデンも観光しよう、となったわけです。ですので、ドレスデンに寄ることを決めたのは、イギリス暮らしを始めてからだいぶ経ってからのことでした。日本を発つ前には思いも寄らないことでした。

朝一番に訪問するのは、もちろんツヴィンガー宮殿です。まず中庭を散歩し、庭を取り囲む壮大なバロック建築を観察します。その後は、アルテ・マイスター絵画館の鑑賞です。有名なのは、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」とラファエロの「システィーナのマドンナ」など。ここにはフロアマップはなく、中に入ってキョロキョロしていると、係員のおばさんが「フェルメール?」と声をかけてくれました。だからドイツ人って好き! 日本人がキョロキョロしているだけで、分かってくれて(たぶんそういう日本人ばかりなのでしょうけれど)、そのように声をかけてくれる。それでフェルメールの絵のところまで案内してくれました。少し陰のあるフェルメールの絵。ここもこの絵の前には誰もいなくて、ゆっくりと鑑賞することができました。その後は、ラファエロの絵を探しにいき、鑑賞した後は、ゆっくり順番に巡っていきました。他にもマリー・アントワネットの若い頃の肖像画とか(それは、横を歩いていた日本人観光客のおばさんの話を聞いて気が付いたのでした。有難い。)、だいぶ忘れてしまったのですが、有名な絵画が多く、ゆったり配置されているので、ゆっくりじっくり鑑賞することができるいい美術館だと感じました。

ちょうどお昼どきになったので、エルベ川沿いに向かい、ラーデベルガーの直営レストランに行きました。ここと工場でしか飲めないという濾過前のビールが味わえるとあって、ビール好きには垂涎ものです。私は雰囲気を味わうだけですが、ウィンナーがやっぱりドイツは美味しいと感じるのでした。Radebergerは日本に帰ってから、デパートや高級スーパーなどで売っているのを見かけて、何度か買って帰り、ドレスデンのことを思い出すのでした。

その後、エルベ川に架かる橋を渡って、対岸からドレスデンの見事に復興なった街並みを味わい、再び戻って大聖堂の中を見学。とても質素なドイツっぽさを感じました。

それで再びツヴィンガー宮殿に戻り、陶磁器コレクションを見学しました。マイセンが近いだけあって、錚々たるコレクションが楽しめます。最初の部屋は、中国や日本の大ぶりな磁器が並んでいて、普通の博物館のようでしたが、次の部屋に入ると、動物の形の巨大な磁器ばかりが並んでいて、モチーフ自体があまり見ない面白いものであること、一つ一つが大きいこと、数が多いことなどから、すごく面白いというか、興味深いというか、よくまあこれだけ作らせたな、とちょっとあきれたりといろんな感想を抱きました。さらに別の部屋には、精巧な細工をほどこした巨大な磁器(食器ではなく、置物)がこれでもか、と並んでいて、その技術の高さには圧倒されました。

その後はツヴィンガー宮殿を後にして、ノイマルクト広場の方向に向かいました。広場回りにあるカフェの一つでしばし休憩。その時、今日の晩は和食が食べたいね、となりました。ここに来るまでにヒルトンの前を通ったのですが、そこに和食レストランの看板があったんですよね。それなりにおいしいとは言ってもやっぱりイタリアやスペインとは違うし、今回は疲労度も違うので、さすがに和食でほっと一息つきたい気分になりました。昨今の和食ブームで食べたいときに、食べれる環境があるというのは有難いことです。

休憩の後、フラウエン教会の中に入ろうと思ったのですが、理由を覚えていないのだけれど、結局入らず、この後ヒルトンの和食レストランの場所と開店時間を確認し、ドレスデン城へ。

ドレスデン城の展示すべてを見ることはできませんでしたが、数多くの手工芸品を見て、かなり満足したのを覚えています。

お昼があまりに軽かったので、もう腹ペコで我慢ならなくなった私たちは、開店時間の10分前にはレストランに着き、前に並べてあった椅子に座って待っていました。すると私たちに気が付いた日本人か中国人の女の子がお店を開けてくれました。おー、イギリスではありえない! と再び感動。何を食べたかまるで覚えていないのですが、とにかくほっとしてくつろげたことを覚えています。

この日は、夜9時前にドレスデンを発つ夜行でケルンに向かいます。雑誌で見たCity Night Lineは豪華寝台列車との触れ込みでしたが、来た列車を見ると普通の特急列車のようです。やっぱりハンガリーあたりの車両のようです。かなりがっかり。それでこの列車は、ハンガリー辺りからきて、ケルン止まりだと勝手に思い込んでいたのですが、なんとアムステルダムまで行くのでした。ケルンで乗り遅れないように気を付けなくてはなりません。私たちが予約した席は、個室でシャワー・トイレ付の一番いいものではありましたが、アメニティなどはルジタニアのほうがはるかに良く、再び落胆したのでした。まあ、いいでしょう。夜行の旅もこれが最後。もうこんなことは経験しないに違いありません。

明日の朝も早いので、すぐに着替えて寝に入ってしまいました。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その7) プラハ2日目、そして最後の訪問地ドレスデンへ [欧州鉄道旅行]

じんましんは出たものの、この日は急性だろうと思ってさほど気にしていなかったので、ぐっすり眠ることができました。プラハまで来たことで旅も後半戦に入り、またヨーロッパのテレビニュースのトップは、原発事故からリビアに対する国連の制裁決議に変わっていたので、事故の状況は好転こそしていないにしても悪化はしていなそうだ、と推測できたことから、少し緊張感がゆるんできたのかもしれません。

この日は何はともあれ、プラハ城です。昨日歩いた旧市街を再び味わいながら歩き、カレル橋を渡って、今日は険しい坂を登っていきます。このマラー・ストラナ地区も、旧市街の複雑な街路ではないものの、魅力的な雰囲気が漂っていることには変わりありません。坂道の両側のお店などもチェックしながら、折り返しの道を曲がればプラハ城はもうすぐ。お城はどこも街で一番の高台にあることには変わらず、このプラハ城も例外ではありません。坂を登り切ったところから眺めるプラハの街はまた格別でした。

前回来たときは城の回りをぐるっと歩いただけでしたが、今回は城の中も当然見学します。チケットを購入し、旧王宮から順番に見学していきました。少し変わったと思ったのは、前回は聖ヴィート大聖堂の中は自由に見学できたと記憶しているのですが(写真も残っています)、今回は料金を払った人のみが奥まで入れるようになっていました。この大聖堂のステンド・グラスはとても素晴らしく、ミュシャの作品もあります。また、今回あれっと思ったのは、黄金小路を見逃してしまい、おかしいなぁ、と思って戻ってみたら、黄金小路の入り口が閉鎖されていて、どうも中が工事中のようなのです。この小路はとても印象に残っていたので、入れないのは残念でした。聖イジー教会、聖イジー修道院など一通り見学して、お昼近くなったので、カレル橋近辺で食事にすることにしました。

ガイドブックを頼りに、目当てのところを探しますが、なかなか見つからず、少しくじけ気味に。思ったよりも歩いたところに目当てのレストランはありました。それは、カンパ・パークか系列のヘルゲトーヴァ・チヘルナのどちらかで、ホームページを見ても、どちらか全く思い出せないところが情けないのですが・・・ここで久々にパスタをいただきましたが、予想以上においしくて大満足。カレル橋を見事に見渡せる絶好のロケーションと相まって、素敵な思い出となりました(なのに、思い出せない・・・)。

この後旧市街を通り抜けて、火薬塔のところで右手の道を取り、ボヘミアン・クリスタルで有名なお店Moselに立ち寄りました。実は、以前来たときは旧市街のクリスタルのお店で買い物をしたのですが、確かここだったのにと思うところ(当時使ったガイドブックを利用していたので、場所は間違いないと思うのですが)に、ハードロック・カフェなどがあります。それで諦めて、Moselに行くことにしたのです。見るだけのつもりで、実際、あまり好みのものが見つからなかったのですが、一つだけ、小ぶりでシンプルなデザインのグラスがあり(おちょこの少し大きいぐらいのもの)、これを購入することに決定。それでお店をさらにぶらぶらしていると、なんと、ヘレンドも売っているのです。ブダペストにいたときは、すっかり落ち込んでいて本店に行く気力もなかったのにここで目にすることができるとは。もちろん、商品数は段違いに少ないはずですが、まさにうちの好みと言えるカップ&ソーサーがあったのです。この出会いに抗うことができず、これも1セット購入してしまいました。

その後はヴァーツラフ広場に行き、プラハの春の記念碑を見学した後、いい時間になったのでホテルに戻ることにしました。

この日は16時半にプラハを発つ列車で、ドレスデンへ移動です。列車は出発時刻よりはだいぶ前に到着し(昨日来たときもそうでした)、予定通り出発しました。この日の列車で予約した座席は、久々のコンパートメント式で、他の客がいなければ個室のようでとても快適。夫はまだ飲んだことのないチェコのビールを頼んで、ご機嫌です。列車は、モルダウ川沿いをずっと進み、結局ドレスデンまで川沿いでしたので、いつのまにかエルベ川に名を変えていたのでしょうね。プラハからドレスデンまでは、わずかに2時間15分です。

ドレスデンに着いたときはもうすでに日は完全に落ちてしまっていたので、やはりタクシーでホテルに移動。これがまたタクシー乗り場が駅の案内に見つからず、ずいぶん探してしまいました。明るければトラムもいいんでしょうけれど。

この日のホテルは、最後なので豪華にケンピンスキーです。と言っても、ここドレスデンのケンピンスキーは目の飛び出るようなお値段でなく、逆に「え? これで泊まれるの?」と驚くほどです。ヨーロッパ旅行の最後を締めくくる晩ですし、また、場所も何より行きたいツヴィンガー宮殿の横という至便さなので、ここに決定しました。

ホテルのエントランスに着くと、確かにかつての貴族の館のようで、豪華で、品の良さを感じます。ロビーからフロントに一直線に進んでいくと、こちらが名乗る前にフロントの女性がこちらの名前で呼びかけます。夫はドイツ語で練習していただけに拍子抜けして、ある意味ガッカリ。でもすごい。これが一流のサービスというものか。いくら到着予定時刻を事前に伝えていたからって、そう呼びかけてくれるホテルはあまりありません。

フロントの女性の対応も実にテキパキしていて、機敏です。あぁ、やっぱりドイツに来るとほっとする、と日本人である私はくつろいでしまいます。部屋まで案内してくれたおじさんもものすごい速足で歩き、とにかくすべてが迅速。やっぱりドイツは違う、と別の国から来ると痛く感じ入ってしまいました。

しかし、フロントから部屋まで、宮殿のような造りの廊下を歩き、すっかり迷子になりそうでした。実際、なかなか1回で出口までたどりつけませんでした。また、部屋に案内されて、あまりの広さにまたビックリ。この値段で、こんな部屋に泊まっていいんですか! と本当に驚きました。

この日はもう暗かったので、ホテルで夕食(この日も、、、ですね)。疲れていたので、カジュアルなビストロ風のレストランを選んで、再びシュニッチェルを食べました。が、こんな一流ホテルのレストランにも関わらず、強烈な塩味で食べるのが大変なほどでした。ちょっとがっかり。

食事の後は、一連の旅の最後のホテル宿泊なので、ゆったり、のんびり過ごしました。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その6) 美しいプラハに再び魅了され [欧州鉄道旅行]

結局ぐっすりと眠ることなく無常にも目覚ましが鳴り、朝が来てしまいました。相変わらず風の音が強いのですが、カーテン越しに外を見ると、普通に車やトラムも動いています。まあ余計な心配だったわけですけれど、今は通常の心理ではいられないのも仕方ありません。

この日のウィーンは冷たい雨。前の日にフロントで聞いたところでは、すぐにタクシーは手配できるということだったので、チェックアウトのときにタクシーをお願いしました。来るときは地下鉄でしたが、事故や故障などで動かなくなると困るので、ここはタクシーで移動です。

この日は9時半にウィーンのMeidling駅を発ち、プラハに向かいます。ここは遠くて5時間近い旅になります。日本を発つ前に書店でガイドブックを見た際、中欧3か国を鉄道での移動は厳しいかな~と思ったのですが、それがこの区間。でも、もうパリ~ニース間5時間とか、氷河特急8時間とか経験した後だと、なんてことないって風に普通に企画してしまいました。

余裕を持って着いたので、駅の待合室で暖を取ります。ホームを見に行くと、ホームは少し高い所にあることもあって、猛烈寒い。3日前のブダペストがウソのようです。駅の待合室には、日本人の家族・親戚らしいグループがいました。そういえば、ヨーロッパ旅行では最近中国人の進出が著しいですが、この旅行ではまだ見かけていないです。

列車の到着が近くなるとホームへ移動。到着した列車は、昔風の特急列車で、あまり最新鋭ではない様子。中でトイレに行ったときに、車両の扉のところにハンガリー全土の地図が出ていたので、ハンガリー国鉄の車両かもしれません。

プラハまで長いので、ここではお昼に食堂車で食事をしました。食堂車っていいですよねぇ。でもこの列車のはまさに「食堂」風で、メニューもあまりめぼしいものがなかったのですが、チキンカレーを選択。なんだか不思議な味でしたが、まずまずでした。この間、標高の高い所を通っているのか、雨が雪に変わっていました。確かに周りの風景は、森の中です。ボヘミアの森だろうか~などど思いつつも、プラハもこんな雪だったらつらいだろうなぁ、と思うのでした。

実は私はプラハに数年前に来たことがあるのです。ほぼ今回と同じ時期で、3月の初めのプラハはまだまだ寒かったのを記憶しています。だいたい、最高気温が2度ぐらいで、みぞれが降っていました。今回の天気予報ではそこまで寒くはないようですが、列車からしんしんと降る雪を見ると、寒そうだな~との思いが強くなっていきます。

しかし、プラハに近づいたら雪は止んでいました。長い列車の旅ももう終わり、いよいよ美しい街プラハに到着です。数年前に来たときに旧市街のあまりの美しさに感激して、写真を撮りまくり、寒いのにあちこちフラフラと散策して魅了されていたのを思い出します。今回初めて来た夫がどんな感想を持つか楽しみです。

プラハの駅では、出口が今一つ分からず、駅構内をだいぶうろうろしてしまいました。つまりはとても大きい駅なので、次の出発のときは時間をつぶすのに困らなそうですけれど、時間をだいぶ無駄にしていまいました。その後、ホテルに向かうも、どうも反対方向に進んでしまい、時間に加え、エネルギーまでロスしてしまいました。幸い、私が見覚えのある建物があり、それがそうとなると、ホテルは反対方向のはず、と分かったのでした。それで位置感覚も分かり、もう大丈夫。なのですが、プラハの美しい街は、古い石畳でどこもガタガタ。雰囲気はとてもいいのですが、スーツケースを引きずるのはかなり大変でした。せっかく直した車輪もすぐに痛みそう・・・しかし、この間、すでに真っ黒の火薬塔が見れて、もう感激! 

この日のホテルはマリオット。その数年前に来た時と同じです。ホテル自体とても良かったし、旧市街の観光には抜群のロケーションで、なおかつ鉄道駅にも歩いていける、ということでここにしました。

荷物を置いたら早々に観光に出発。まず近くにあったイタリアの銀行Uni CreditのATMで現地通貨を引き出します。チェコもまだユーロが導入されていないんですよね・・・それから市民会館を眺めながら(前にここで夕食を食べたことを思い出しながら)、火薬塔へ。

火薬塔のたもとに中世の騎士のような恰好をしたお兄さんが呼び込みをしていて、それにつられるように塔に入ることにしました。中に入るのは初めてなので、これは楽しみ。それなりの高さがあるので、上まで登るとプラハ市街が一望でき、それはそれは見事です。これから行く旧市街の方向や、今歩いてきた駅の方、プラハ城など360度のパノラマを確認しながら楽しみました。

火薬塔を後にし、旧市街広場へ向かいます。この辺りからの街並みが本当に素敵。ヨーロッパに素敵な街はいっぱいありますが、プラハの魅力は格別に感じます。すでに夫も大感激の様子。キョロキョロと見入っているうちに、旧市街広場に到着しました。

この広場も歴史的な建物に囲まれ、とても素敵なところです。2本の尖塔が印象的なティーン教会や、仕掛け時計で有名な旧市庁舎など見どころが豊富です。また、ヤン・フスの銅像なども建っていて、美しいだけでない激しいプラハの歴史の一面も少し考えさせられたりもします。この日はマーケットが並んでいて、とても賑やかでした。

それから迷路のような旧市街の街並みを歩いた後、いよいよカレル橋です。この火薬塔から旧市街広場を経て、カレル橋に至る街が私は大好きで、初めて来たときは目を奪われて何度もこの辺りを行ったり来たりしたのを覚えています。まさか再び来れるとは。そして、カレル橋とモルダウ川。向こうにはプラハ城。これもまた旧市街とは別の魅力をたたえています。私が来るときはいつも暗い曇り空のせいか、「陰」のイメージなのですけれど。そして絶対にスメタナの「わが祖国」のメロディを心の中で奏でてしまうのです。曇り空がピッタリ! さらに、プラハの春と重なってしまうのですね。。。美しさと裏腹な悲哀のこもった歴史に思いを馳せずにはいられません。

カレル橋を渡り、プラハ城までは登りもきついし、遠いから、もうちょっとで引き返しましょう、となり、マラー・ストラナ広場にある聖ミクラーシュ教会を観光してこの日は終わりとすることにしました。ここも前回入らなかったところなので、楽しみでした。入ってみると大理石の柱などがピカピカしていて、比較的最近修繕したのかしら、と思うような造りでした。そのためか中欧の教会にしては、豪華さを感じてしまいましたけれど。

この日の夜もやはりホテルのレストランで夕食。客も私たちしかいなくて、サービスしてくれるのかな、という雰囲気でしたが。地元プラハの料理らしいものと、珍しいチェコの赤ワインを味わいました。

しかし、この日の夜、じんましんの発疹が。。。これまでの心労がたたったのでしょうか。なんらかの料理のせいかもしれませんが、ストレスの影響もあるに違いありません。これがきっかけで、帰国までたびたび発疹が出て、結局これが帰国後の強烈な慢性じんましんへと発展してしまったのでした。


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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その5) ウィーン1日観光 [欧州鉄道旅行]

翌日はウィーンに1日滞在予定なので、のんびり観光予定です。ハイライトとも言えるシェーンブルン宮殿をすでに見てしまったので、この日はわりと気ままに過ごせる1日です。

この日はまず、トラムに乗ってリングを1周することにしました。昨日地下鉄に乗った際に24時間有効券を買ったのですが、それは地下鉄に限らず、トラムにも乗れる券なので、24時間経つ前に乗ってしまおうというわけです。

ホテル・ブリストルのすぐ前に、トラムの駅Karlsplatzがあるものの、ガイドブックの案内は不十分で今一つどうしたらいいか分かりません。そこで、夫がホテルの風格あるドアマンに聞いて、教えてもらいました。それによると、Karlsplatzで特定の番号のトラムに乗り、Schwedenplatzで乗り換え、また特定の番号のトラムに乗ればここに戻って来られるとのこと。今となっては番号を覚えていないのが残念ですが、トライしてみました。

その待っている番号のトラムはなかなか来ませんでしたが、来てみたら最新型のようで、停まる駅名などが車内の電光掲示版に案内されていました。これは助かりました。というのは、この後乗り換えたトラムは古くて、全く案内がなかったのです。

さて乗ったトラムは西側に進み、右に王宮、左に美術史博物館、自然史博物館と壮麗な建物の間を進みます。さらに行くと、左手に国会議事堂、右手にブルク劇場、その向かい左手には市庁舎、さらに行くとまた左手にウィーン大学と重厚な建物の連続に目を奪われます。建築物の壮麗さや洗練度などは、やはり素晴らしいです。しばらく行くと左手にドナウ運河が見え、オフィス街のような高層建築も見えたりしてきます。そしてもう乗り換えのSchwedenplatzに到着。ここで降りたら、レトロな観光用デザインのトラムが停まっていて、ウィーンにもやはり(リスボンのような)観光用トラムがあるようです。いつ出発するのか、とかそういう情報がなく、また頑張って入手する気力が欠けていたので、そのまま乗換予定のトラムを待ちます。乗り換えた後は、左手に市立公園を眺め、この近辺は有名な高級チェーンホテルが並び立っていて、何があるか確認したりしていると、あっという間に1周して戻ってきてしまいました。

結局あまりに短かったので、もう1周してしまいました(シンガポールのセントーサ島でも似たようなことをしたっけ・・・)。しかし、一度もチケットを確認されなかったし、どこでどう見せるのかも分かりませんでした。。。

リングを2周した後は、陰のハイライト、美術史博物館に向かいました。陰のハイライト、というのは、ウィーンのもう一つの目的フェルメールの「絵画芸術」を見るというもので、それがこの美術史博物館にあるのです。フロアマップを入口で入手して、真っ先にフェルメールのあるはずの部屋に行くと、その絵はありませんでした。なんだ、どこかに貸し出されているのかな、と諦めてそこから何部屋か歩いたところに、突然、その探していた絵がありました。あぁ、見逃さなくてよかった。とりあえず、じっくり眺めてから、フロアマップのいい加減さにあきれてしまいました。オーストリアでもこんななのかしら。マップのとおりにある絵もあれば、そうでないのもあり、とりあえず一通り巡って、デューラーやブリューゲル、ベラスケスなど貴重な絵のほとんどは見れたと思うのですが。案内係によれば、今絵の配置を変えている最中で、マップはまだそれが反映されていないとのこと。在庫がいっぱいあるから仕方がないんだ、と開き直られてしまいました。こういうところは、オーストリアでも西洋人的、、、とがっかりしてしまいました。

さて、一通り鑑賞した後は、美術館の真ん中にある素晴らしいカフェでお昼としました。なんだか、カフェの内装、テーブル、床の石、流れる音楽、何をとっても優雅の一言に尽きます。しばし、ここでのんびりして、現実から逃避していたい、そんな気分になりました。

お昼の後は、道を渡って反対側のホーフブルク宮へ。ここでは、銀食器・磁器等のコレクションとシシィに関する展示を、いつにない熱心さで見学しました。音声ガイドの案内もすべて聞いてしまうほど。それでも時々日本のことを思い出して、集中力が欠けてしまうのですが。シシィことエリーザベトのことは今回の旅行で初めて知ったという教養のなさですが、なかなか興味深い人生、悲劇なのですが、を知ることが出来ました。この王宮のシシィの部屋には、美容に凝った彼女のトレーニング道具や美容セットなど、女性にはとても愉快な展示までありました。

この後王宮のカフェで再び一休み。結構熱心に見たため、足が棒のよう。王宮の他の展示も興味はあったのですが、結局場所もよく分からず、人に聞く気力は相当欠けていたため、王宮見学はここまでにしました。

この後はゆっくりとリング沿いを歩いて、まず楽友教会の外観を見学。この年は、ニューイヤーコンサートをBBCでお昼時に見るという貴重な体験をしました。いつも東京では夜しか見れないですからね。そういえば、ここ数年、このニューイヤーコンサートの抽選にウェブで申し込みをしているのですが、「外れました」のメールを、ここウィーンで受け取ったのでした。いつか当たって再びウィーンを訪れたい、その時は、今みたいな憂いなく、それにホテルはインペリアルがいいかなぁ、と思いを馳せるのでした。

再びリング沿いに戻り、市民公園までてくてく。ヨハン・シュトラウス像を見学した後は、シュテファン寺院に向かいます。シュテファン寺院の屋根を見ると、ブダペストのマーチャーシュ教会の屋根の模様と似ています。お互い文化が影響し合っているのだなぁ、とこんなところで実感しました。夫は教会の上に登ろうと言いましたが、もう私はくたびれ果てていて、拒否。ケルントナー通りをゆっくり歩いてホテルに戻ったのでした。

この日、結局私たちは帰国のフライトを日本航空に変更し、予定より早く帰ることにしました。原発事故が好転していなかったので。ロンドンに電話して、最後の引越荷物の集荷予定を変更してもらい、e-ticketをビジネス・センターで印刷したり、とちょっとバタバタ。後から、結局必要なかったことが分かりますが、とても不安を抱えたまま毎日を過ごせないと思い、この時点では致し方ない決断だったと思っています。日本航空なら、何があっても日本には飛ぶだろうし。

これらを済ませてしまうと少し気が楽になり、再びホテルのレストラン「コルソ」に行き、前の晩とほぼ同じ料理にワインを楽しみました。ここのシュニッチェルは本当においしいです。それに昨日も書いたけど、サービス係がとても感じがいい。一流のホテルのサービスの距離感が、とても素晴らしいと思いました。

そんなこんなでこれで落ち着いて眠れると思ったのですが、この日の晩は猛烈な風の音でなかなか寝付けず、寝付いてもまた目が覚めてしまうといった状態でした。そのうち、この嵐のせいで列車の運行に支障をきたして、予定通り旅行が続けられなくなったらどう対処したらいいだろうか、などと考えだしたら、ますます覚醒してしまい、とてもつらい夜でした。。。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その4) ハプスブルク家の都ウィーンへ [欧州鉄道旅行]

翌日は、鉄道でウィーンへ移動。昨日予習ができませんでしたが、ホテルから駅までの距離を考えると、ホテルの車の出発時間はだいぶ余裕を見てくれているようなので、それほどの心配はしていませんでした。

実際、ホテルをチェックアウトし、用意されていた車で駅に向かうと、だいぶ列車の出発時刻より前に駅に到着しました。駅構内はそれほど大きくなく、大きな出発案内を見ると、私たちが乗る予定の列車もすぐに見つかりました。9時10分ブダペスト発のその列車は、なんとザルツブルク行きでした! ポルトガルからスペインに行ったときは、あまり国をまたぐという意識がなかったのですが(時差はあったにもかかわらず)、ザルツブルク行き、なんていう列車をブダペストで見ると、久々にヨーロッパ鉄道旅行の醍醐味を味わうような気分になりました。

その列車が停まっているホームに行くと、係のおじさんが、座席まで案内してくれると言います。かなり長い編成で、私たちの席がある車両は、ターミナルの端からだいぶ遠い所でした。席に着くと、やはりチップを要求しました。ま、いいでしょう。

この車両は、オーストリア国鉄のRailjetというもので、デザインもスタイリッシュで清潔感に溢れています。これなら、これから2時間半の旅も快適そうです。

ブダペストを出てからの車窓の景色は、平原が続く、といった感じで、あまり変化がなく、漠然と今朝のニュースのことに頭を巡らせてしまいます。日本での原発事故は、ますます深刻の度を増していて、かなり悲惨なようです。France24というフランスのニュース(英語版もあります)によれば、エール・フランスやルフトハンザは東京行きのフライトを止めたとか。2週間後に英国滞在のビザが切れ、Virgin Atlanticで帰国便を予約している私たちとしては、帰国自体も危ぶまれる状況になってきました。ビザが切れてしまうのに飛行機が飛ばなくて帰れない、なんていう事態になったらどうしたらいいのだろう。それに、帰国日に合わせて東京での生活をあれこれ手配しているところを、これをまたやり直すとなったら、このような混乱した状況下だけにどうなってしまうのか想像もつきません。朝はかなり落ち込んでいて、まだこの先長い旅行を続ける気力を失っていましたが、なんとか最後まで続けようと気を持ち直してここまで来ました。

そんなことに思いを巡らせながら、ぼーと車窓の景色を見ますが、あまり目を引くものはありませんでした・・・1等車を取っていたので、ドリンクやスナックは提供されて、食事もオーダーすれば可能ですが、この日はホテル・ザッハーのザッハー・トルテをお昼にしてしまおうと計画していたので、食事は我慢です。

次に停まる駅などの案内もモニター画面に表示されて、とても安心して利用することができました。もちろん、いつも鉄道の旅には欠かせない、途中駅の発着時刻も含めた時刻表や万一乗り遅れた場合の後の列車の時刻表なども用意してはいました。今回は、オーストリア国鉄のサイトでこれらの情報を入手して、プリントアウトして用意していきました。

さて、ウィーンではMeidlingという駅で下車です。私の持っている小さなガイドブックでは、地図からはみ出てしまうような位置にあるようで、かろうじて地下鉄路線図で場所が分かるといったところです。こんなところに停まる理由は、南駅が大規模な再開発の真っ最中だからのようで、実際、Meidlingに着く前に、それらしい箇所を通りました。

ウィーンではユーロが使えるので、楽。さらには、ブダペストから来ると、スーパー洗練された先進国なので、ちょっと居心地がよく緊張が緩むのを感じます。タクシーでホテルに向かおうと思いましたが、なぜかタクシーの案内が見つからず(こういうことって珍しいのですが)、結局地下鉄でホテルそばのKarlsplatzに向かいました。

地下鉄はまあまあスムーズで(乗り換えた際に、反対方向のホームに向かってしまったり、というのはありましたが)、無事Karlsplatzに到着。駅舎がアールヌーボー風というのをガイドブックで見ましたが、なんとなくそれは眺めて通り過ぎ、さてホテルは? 出口を出れば目の前のはずが、どうも違うところに出てしまったようです。今から思うと見えていた立派な建物はカールス教会だったようですが、その時は分からず、通りを行く人もほとんどいない中、紳士風のおじさまに道を尋ねたのでした。小雨も降り出したので、急いで歩き、あ、あれはオペラ座、これで到着だ、と安心しました。そうです、ウィーンでの投宿は、奮発してホテル・ブリストルとしたのです。

ホテルに着いて、格調高いながらも暖かい歓迎を受けて、ちょっと一安心。部屋に案内されると、私たちの泊まる部屋は、廊下から少し奥まったところにあるようで、ドアを開けるとまた通路。これがなんだか高級感を一層醸し出します。内装もとてもデコラティブで、王朝文化華やかなりしウィーンという雰囲気があふれていて最高でした。もちろん、広さも十分。

少し落ち着いたところで、さっそくホテル・ザッハーに向かいました。ここはさすがに超有名なだけあって、客も多く、さばき方がやたらシステマチック。こういうところは日本に似ているかもしれません。まず、クロークに案内されてコートや傘を預けます。それからテーブルへ案内。卒業旅行生らしい、若い日本人女性がグループで来ていて、ザッハー・トルテを食べています。私も当然、ザッハー・トルテとウィンナー・コーヒーを注文。見た目、こってりと甘そうですが、そうでもなく、洗練されていて、コーヒーとの相性が抜群。最初見たときは、全部食べられるかなって不安になっていましたが(甘いものはそう得意ではないのです)、ペロッと食べてしまいました。

この後、シェーンブルン宮殿に行ってしまうことにし、再び地下鉄に乗りました。夏だとさぞかしにぎわっているのだろうと思うのですが(トイレのあまりの大きさに、それをますます確信しました)、寒く、天気も薄暗い今日のような日は、とても静かで、落ち着いて観光ができます。とは言え、庭園には当然花などなく、ちょっとさみしいのは間違いありませんけれど。宮殿内部は日本語の音声ガイドを利用し、みっちり見学。ただ、やっぱり日本の状況にかなり心ここに非ずの時があって、今振り返ると、あまり覚えていないのですよね。。。なんだかガッカリ。贅を尽くした部屋が次々と現れますが、ベルサイユほどの圧倒さではないと思います。

宮殿見学の後は、庭を歩き、グロリエッテまでなんとか到着。高台にあるので、宮殿や庭を見下ろし、その背景にあるウィーンの街並みも遠望でき、とても素晴らしい。思い切りこの素晴らしさを楽しめない心境なのがつらいところですが、それでも精いっぱい、この瞬間を味わうようにしました。

この日は(ずっとそうですが)、ホテルのダイニングで、当然ウィンナーシュニッチェルとオーストリアのワインです。ブリストルのレストラン「コルソ」はとても有名だそうで、かなり期待していました。食事もワイン(リースリングとグリューナーフェルトリーナー)もどちらも素晴らしく、私たちが心から楽しんで味わっているせいか、サービスのおじさまたちもとても暖かい心遣いを示してくれました。これはとても印象に残っています。

ところで、今ホームページで見ると、夕食のドレスコードはフォーマルとありますが、私は旅人風に荷物が少ないため、いつもジーンズ1枚しかなく、靴もウォーキング・シューズしかありません。それでも断られたこともなく、サービス係に嫌な思いをしたこともありませんでした。英語を(下手でも)丁寧に話すことと、料理やワインの必要最低限な知識を持ち合わせておくのは大切かもしれません。また、カジュアルな格好でも、だらしないのではなく、きちんと感を持っておくのも大事かもしれません。男性がジャケットを着ていれば、女性は私のようなカジュアルでも、だいぶ違うでしょう。

とりあえずウィーンに来て、少しほっとしたものの、日本の状況はまだ先が見えませんでした。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その3) ブダペスト1日観光 [欧州鉄道旅行]

ブダペストに到着した翌日は、1日ブダペスト観光です。青空が広がり、穏やかな晴天が一日続きそうでした。

ホテルのフロントでATMの場所を聞き、まずはハンガリーの現地通貨フォリントを調達。そして、何はともあれ、くさり橋を渡り、対岸の王宮をめざします。

この日は、ハンガリーでは、「1848年の革命と自由戦争記念日」という祝日になっていて、ハンガリー人たちは胸元に緑と赤のバッジを付け、やはり王宮めざして大挙していました。このような愛国心を高揚させるような日に当たり、ハンガリー国民の様子を観察できるなんてとても貴重な体験です。

くさり橋を徒歩で渡って、王宮の丘へ登るためのケーブルカー乗り場でチケットを買おうとすると、私たちがATMで下した現金では往復分が買えないということが分かりました。どうせもっと現金は必要になるだろうから、というのと、思った以上に気温が高く、着てきた服装ではとても暑くてたまらないので、いったんホテルに戻って出直すことにしました(こういうとき、ロケーションのいいホテルって便利)。

再び出直してきましたが、結局ケーブルは登りの片道分だけ購入。行き来している間に考えが変わり、下りは歩いて降りようとなったのでした。

このブダの丘を登るケーブル、かつてRailway Storyでもケーブルからのブダペストの眺めを見たことをとても良く覚えていて、実際にそれを体験できるなんて夢のようでした。本当に短い距離で、あっという間に着いてしまうのですが、ぐんぐん高度を上げるにつれ、くさり橋とドナウ川、対岸のペスト地区がよく見渡せるようになり、まさにドナウ川の真珠と呼ばれる美しい街並みを堪能することができます。

すでに丘の上には、ハンガリー人がたくさん集まっていて、美術館などは行列が出来ています。私たちは、しばし景色を眺め、対岸の立派な建造物である国会議事堂や聖イシュトヴァーン大聖堂などを確認した後は、王宮の建物は外観のみにとどめ、マーチャーシュ教会に向かいました。

もう日差しが強くなり、三月とは思えない陽気になってきました。黒いセーターだと背中が暑い・・・この王宮の丘から、マーチャーシュ教会前の三位一体広場まで、この祝日のせいでしょうか、民族的なお土産屋や屋台などが軒を連ねて、とても興味深い。今振り返ると、もっとじっくり見れたら面白かったと思うのですが、この時は、朝テレビで見た日本の原発事故のことが頭にこびりついて、心ここにあらず、の状況でした。時々、はっと我に返り、こんな人込みでぼんやりしていたら危ないから気を付けなくては、と思うのですが、また気が付くと、日本のことを考えてしまいます。

漁夫の砦まで来たところで、日本人観光客がいて、なんとなく気分が楽になりました。

あいにくマーチャーシュ教会は工事中で中に入れず、この後、丘の一番端のウィーン門まで散歩し、再びケーブルカー乗り場の所まで戻ってきてから、丘を降りました。すでにお昼が近くなっていましたが、朝よりも一層丘をめざすハンガリー人の数が増えていて、徒歩で登る人たちも途切れることなく続いています。くさり橋を王宮に向かう人も多く、トラムも超満員です。この後、あの丘はどうなってしまうんだろうか、と不安にならずにいられません。

私たちは再びホテルに戻り、ホテルのカフェで軽い昼食にしました。

その後はドナウ川沿いを北に進み、国会議事堂の外観を見学。ちょうど衛兵の交代もあったりで見学しましたが、この国会議事堂の周囲もハンガリー人が列をなしています。どうも中に入る列のようなのですが・・・どこもあまりの人の多さにびっくりします。日本では建国記念日なんて、最も陰の薄い祝日の一つのように思うのですが、このように国の独立や誕生を祝うのってとても大事に感じて、ハンガリー人の楽しんでる様子はとても印象に残るのでした。

次は聖イシュトヴァーン大聖堂へ。ここは中に入り、ドームの上まで登りました。ここにも、卒業旅行生っぽい日本人観光客が。。。その後、イシュトヴァーンの右手のミイラなるものを見に行きましたが、さっぱり分かりませんでした。

この後、大聖堂前の広場に軒を連ねるカフェの一つに入り、しばし休憩。そして次は英雄広場と市民公園に行くことにして、遂にブダペストの地下鉄に乗ることになりました。ブダペストの地下鉄と言えば、歴史的にとても古く、貴重なもので、世界遺産に登録されているほど。聖イシュトヴァーン大聖堂のすぐそばに地下鉄駅があるのですが、タイルの壁でやたらレトロ。地下1階のような、とても浅い地下をおもちゃのような鉄道が走っていました。ここでは結局切符は窓口で買って乗りましたが、なかなか緊張感を感じました。危険、というのではないのですが、ちょっと馴染めない空気感。

さて、しばらく乗って英雄広場前の駅で下車。マジャール民族による国土征服1000年を記念して造られた広場とのことで、愛国的祝日の日にぴったりの場所のようです。広場の向こう側の市民公園は、ぽかぽか陽気も手伝って、家族連れのハンガリー人が大勢来ていて、それぞれ思い思いにくつろいでいます。私たちも池の前のベンチに陣取り、普通のハンガリー人たちが祝日を楽しんでいる様を観察しました。アジア民族の血が混ざっているとは言っても、だいぶ混血が進んでいるようで、東洋人の私たちから見れば西側の人たち、のようですが、そうは言っても西ヨーロッパとはまただいぶ違う雰囲気です。この馴染みのなさから、地下鉄などでは居心地の悪さを感じたのでしょうか。

しばらく休んだ後、再び地下鉄で市の中心部に戻り、明日鉄道に乗る予定の東駅の予習を試みたのですが、乗換駅で切符がうまく変えず、断念。券売機に現金を入れたら、お金が吸い取られただけで、切符が出てきませんでした・・・共産圏のようです。それで、小銭は無くなってしまい、窓口もないので、諦めることにしたのです。やれやれ。

本来だったら、この後ヘレンドの本店に寄って、お土産を購入するところだったのですが、すっかり日本の状況に落ち込んでいた私たちは、もうそんな気分ではないとホテルにすごすごと戻ってしまいました。

ブダペストの観光は、これで終わりです。この日の夕食も前日と同じホテル1階のレストランにし、この日は祝日のせいだったか、シャンパンのサービスがありました。3種類ぐらい味見をして、結局Gossetに決めました。Gossetのシャンパーニュなんて久しぶりで、とても味わい深いものでした。そして昨晩と同様に、ハンガリー産ワインの3種飲み比べ(昨晩は説明をきちんと理解できず、誤って注文して高くついてしまったので、この日の晩は改めて選び直しです)を楽しみました。窓の外は、美しくライトアップされたくさり橋とブダ王宮。ハンガリーの祝日や日本での悲惨な状況など、自分でも感情をどう扱ったらいいのか分からない状況のまま、この日が終わりました。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その2) ドナウの真珠ブダペストへ [欧州鉄道旅行]

出発当日、この日のフライトはマンチェスター空港から午後の早い時間です。今回もJet2.comというLCCですが、ヴェネツィアに行ったときと同じなので、心境としては落ち着いた感じです。地元からTransPenine鉄道に乗り、最後のPeak District区間を行くのですが、どうも日本で原発事後が深刻になりつつあるというようなニュースを聞き、美しい風景も気もそぞろにしか見ることができません。

列車は予定通り到着し、そのため、フライト時刻よりだいぶ早く到着しましたが、Jet2.comのカウンター前でしばらく時間をつぶし、案内の後にチェックインしました。

空港でこれまた最後のハンバーガーをいただいていると、巨大な飛行機が一機着陸しました。私たちが食事をしているところの近くが駐機場のようで、近づいてくる巨大な飛行機を皆興味深げに眺めています。それは、Emirate航空のエアバスA380で、その巨大さを間近に見ると異様なほど。人気があるといいますが、私は正直遠慮したい、と思ってしまいました。

フライトは予定通りに出発。マンチェスターからブダペストまで約3時間のフライトです。私たちは飛行機の右側座席を取っていたのですが(座席を事前指定すると、それ自体に料金がかかります)、ブダペストが近づくと、右手にドナウ川とそれに架かるくさり橋らしきものが! 対岸に王宮が見え、ブダペストの中心を上空から楽しむことができたのです。それはもう素晴らしい美しさで感動的でした。

無事着陸し、飛行機から降りるとターミナルではなく、地面を歩いてターミナルに向かいます。これは地方空港並みの設備です。ターミナルに入るとすぐ、素気ない入国審査のボックスがあり、いかにも旧共産圏です、といった風情です。入国審査を通過すると、すぐに預け荷物のピックアップのコンベアが回っていて、あまりの空港の小ささにあぜんとするほど。もちろん、出口もすぐそばで、最近の巨大空港から見ればらくではありますが、一国の首都とは思えない規模です。まだまだハンガリー、経済的にはこれからなのですね。。。

出口を出ると、この日宿泊予定のSofitelから迎えの車が来ていました。実のところ、ブダペストの空港から市内までの交通は悩みの種でした。ガイドブックによるとタクシーはぼるし、ミニバスみたいなものは、人数が集まり次第出発、とか、あまり使い勝手がよくないようです。市内のどの辺りに停まるかの情報も不十分ですし。ホテルの送迎も調べてみたのですが、明記しているところは見つからず、逆にマリオットなどはサービスを提供していません、という明記があるほど。それでブダペストは諦めようかと思ったほど。結局ウェブで、タクシーがゾーン制になったと知り、行くことを決定したのでした。それで、自分でSofitelのサイトから予約をしたところ、割とすぐにホテルの担当者から直接メールが届き、希望すれば送迎を手配してくれるとのことでした。もちろん料金は割高ですが、利便性、安心を買うことにし、これを利用することにしたのです。正直、このサービスはとても嬉しいと思いました。

タクシーの車窓から見るブダペストの郊外は、これまで旅してきたヨーロッパの街並みとはだいぶ異なる雰囲気。そう、ここはマジャール人の国ですからね。文化も違うのだろうな、と想像できます。ただ、ブダペストの市街地に入ると重厚なヨーロッパ的石造りの建造物が増えてきます。タクシーはドナウ河畔に出て、北へと向かいます。お、くさり橋か、と思うとそれは、別の橋で、自由橋でした。さらに進んで、いよいよくさり橋のたもとまで来たところで、ホテルに到着です。

Sofitelも周辺のホテルと同様、くさり橋と対岸のブダ王宮を望める絶好のロケーションにあります。ここでは、くさり橋を眺められる部屋を指定していましたが、実際に目にしてみると圧倒されるほどの素晴らしい景観です。もうだいぶ陽は落ちてしまい、薄暗くなっていましたが、逆にライトアップされたくさり橋と王宮の美しさにいつまでも見惚れてしまうほど。景観は言うことありませんでしたが、ホテル内のインテリアも落ち着いていてとても居心地がいいです。このホテルは、内部が巨大なアトリウムになっていて、とても開放的な空間が広がっていました。

少し落ち着いたら、夕食にちょうどいい時間になっていたので、ホテルの1階にあるレストランで食事をしました。レストランもドナウ川に面しています。ただ、Sofitelは広場一個分中に入ったところに建っているので、若干距離感がありますが。ここで、ハンガリー名物赤パプリカの鶏肉の煮込みとハンガリー産ワインを堪能し、とりあえず無事にここにいられる自分たちに感謝するのでした。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都市物語(その1) [欧州鉄道旅行]

3月後半のイギリスからの帰国直前に、中央ヨーロッパに旅行に行きました。訪問先は、ブダペスト、ウィーン、プラハ、ドレスデンです。本当はもっといい季節に行きたかったのですが、さすがに1年の滞在期間では行きたいところが多すぎて、そうこうしているうちに9月になり、もう帰国直前しかなさそうだ、となったわけです。この地域は寒いので、出来るだけ暖かくなるのを待ったほうがいいだろう、との思いもありました。

全体のスケジュールはこんな感じです。

Day 1 イギリスからブダペストまで飛行機で移動。ブダペスト泊
Day 2 1日ブダペスト観光
Day 3 午前中にブダペストから鉄道でウィーンに移動。その後ウィーン観光
Day 4 1日ウィーン観光
Day 5 午前中にウィーンから鉄道でプラハに移動。その後プラハ観光
Day 6 プラハ観光。夕方鉄道でドレスデンに移動。ドレスデン泊
Day 7 1日ドレスデン観光 夜、夜行列車City Night Lineでケルンに移動
Day 8 ケルンからICEでブリュッセルへ移動、ブリュッセルから最後のユーロスターでロンドンへ帰国

今回は、多くの国をまたがる旅行で、スケジュールはRail Europeで大まかに立てるのですが、この他各国の鉄道会社のホームページで時刻表を確認して、情報の整合性を確認したりで結構手間をかけました。

出発前は毎日のように天気予報をチェックし、服装を検討。なぜなら、この旅行の直前にあらかたの引越荷物を搬出してしまうので、できることならかさばるコートなどは送ってしまいたい、と思っていたからです。チェックした天気予報によると、私たちが旅行に出かける前の週はかなり暖かいのですが、私たちがウィーンに移動する頃から再び寒波が訪れるようでした。

実際、引越荷物の搬出日に日本では大震災があり、その後の原発事故が日々進展していく中で、しばらく旅行中はつらい毎日が続きました。日本はどうなってしまうのだろう、そんな先行き不透明な日本に自分は帰らなければならない、とあまり旅行を楽しむことができなかったのは確かです。今も被災地で暮らしている方のことを思うと、こんな旅行記を書くのはどうかな、とも思うのですが、記録としてやっぱりなんとか残しておこうと思っているところです。

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イベリア半島を列車で横断 ポルトガル・スペイン旅行(その9) [欧州鉄道旅行]

翌日タクシーで空港へ向かいます。前の日に歩いた、ヤシの木が両側に立ち並ぶ通りを進みながら、きれいに晴れたバルセロナの青空を眺めると、「昨日予定通り列車で移動できていたら、このバルセロナのいい天気を味わうことができなかったんだなぁ」と皮肉な巡り合わせに複雑な思いがしました。

その日乗る飛行機は、初めて名前を聞くVuelingという航空会社が運航するもので、どうもバルセロナの地元のLCCのようなのですが、プリンタを使えない(ホテルで頼んだりするのが面倒)ので、オンライン・チェックインを済ませたか、紙でなくてSMSのメッセージでチェックイン可能という処理にしたと記憶しています。

空港カウンターでは、スペインの可愛らしい女性たちが明るいイエローの制服に身を包み、とても好感が持てる雰囲気です。SMSメッセージをそこにいた女性に見せて、搭乗券をもらいました。実際安心したのは、飛行機が離陸したときです。こちらでは、最後の最後まで何が起こるか分からないので・・・

飛行機はパリのオルリー空港に到着。オルリーに来るのは初めてでしたが、今やこじんまりとしているせいか、荷物もすぐに出てきて、とにかく、待ち時間や移動時間が少なくてすみました。パリにありながら、飛行機から降りて、これほど次の行動に早く移れるなんて素晴らしい。

そこからはタクシーで東駅に移動。タクシーでパリ市内の中心を観光できるとは思いもよらなかったですが、でもエリプソスに乗ってみたかったし、夜行で目覚めるパリの朝というのを経験したかったので、トラブルに遭遇したという以上に、その無念さのほうが大きいのでした。

東駅からはユーロスターで帰国。次の列車までぎりぎりで、イギリス入国に列ができていたのでちょっと焦りましたが、後はスムーズでした。

それにしてもこれだけ旅行したら、こういう目にも遭いますね。パリのストは1日違いで逃れたのですが、今度は逃げられませんでした。
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