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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その5) ウィーン1日観光 [欧州鉄道旅行]

翌日はウィーンに1日滞在予定なので、のんびり観光予定です。ハイライトとも言えるシェーンブルン宮殿をすでに見てしまったので、この日はわりと気ままに過ごせる1日です。

この日はまず、トラムに乗ってリングを1周することにしました。昨日地下鉄に乗った際に24時間有効券を買ったのですが、それは地下鉄に限らず、トラムにも乗れる券なので、24時間経つ前に乗ってしまおうというわけです。

ホテル・ブリストルのすぐ前に、トラムの駅Karlsplatzがあるものの、ガイドブックの案内は不十分で今一つどうしたらいいか分かりません。そこで、夫がホテルの風格あるドアマンに聞いて、教えてもらいました。それによると、Karlsplatzで特定の番号のトラムに乗り、Schwedenplatzで乗り換え、また特定の番号のトラムに乗ればここに戻って来られるとのこと。今となっては番号を覚えていないのが残念ですが、トライしてみました。

その待っている番号のトラムはなかなか来ませんでしたが、来てみたら最新型のようで、停まる駅名などが車内の電光掲示版に案内されていました。これは助かりました。というのは、この後乗り換えたトラムは古くて、全く案内がなかったのです。

さて乗ったトラムは西側に進み、右に王宮、左に美術史博物館、自然史博物館と壮麗な建物の間を進みます。さらに行くと、左手に国会議事堂、右手にブルク劇場、その向かい左手には市庁舎、さらに行くとまた左手にウィーン大学と重厚な建物の連続に目を奪われます。建築物の壮麗さや洗練度などは、やはり素晴らしいです。しばらく行くと左手にドナウ運河が見え、オフィス街のような高層建築も見えたりしてきます。そしてもう乗り換えのSchwedenplatzに到着。ここで降りたら、レトロな観光用デザインのトラムが停まっていて、ウィーンにもやはり(リスボンのような)観光用トラムがあるようです。いつ出発するのか、とかそういう情報がなく、また頑張って入手する気力が欠けていたので、そのまま乗換予定のトラムを待ちます。乗り換えた後は、左手に市立公園を眺め、この近辺は有名な高級チェーンホテルが並び立っていて、何があるか確認したりしていると、あっという間に1周して戻ってきてしまいました。

結局あまりに短かったので、もう1周してしまいました(シンガポールのセントーサ島でも似たようなことをしたっけ・・・)。しかし、一度もチケットを確認されなかったし、どこでどう見せるのかも分かりませんでした。。。

リングを2周した後は、陰のハイライト、美術史博物館に向かいました。陰のハイライト、というのは、ウィーンのもう一つの目的フェルメールの「絵画芸術」を見るというもので、それがこの美術史博物館にあるのです。フロアマップを入口で入手して、真っ先にフェルメールのあるはずの部屋に行くと、その絵はありませんでした。なんだ、どこかに貸し出されているのかな、と諦めてそこから何部屋か歩いたところに、突然、その探していた絵がありました。あぁ、見逃さなくてよかった。とりあえず、じっくり眺めてから、フロアマップのいい加減さにあきれてしまいました。オーストリアでもこんななのかしら。マップのとおりにある絵もあれば、そうでないのもあり、とりあえず一通り巡って、デューラーやブリューゲル、ベラスケスなど貴重な絵のほとんどは見れたと思うのですが。案内係によれば、今絵の配置を変えている最中で、マップはまだそれが反映されていないとのこと。在庫がいっぱいあるから仕方がないんだ、と開き直られてしまいました。こういうところは、オーストリアでも西洋人的、、、とがっかりしてしまいました。

さて、一通り鑑賞した後は、美術館の真ん中にある素晴らしいカフェでお昼としました。なんだか、カフェの内装、テーブル、床の石、流れる音楽、何をとっても優雅の一言に尽きます。しばし、ここでのんびりして、現実から逃避していたい、そんな気分になりました。

お昼の後は、道を渡って反対側のホーフブルク宮へ。ここでは、銀食器・磁器等のコレクションとシシィに関する展示を、いつにない熱心さで見学しました。音声ガイドの案内もすべて聞いてしまうほど。それでも時々日本のことを思い出して、集中力が欠けてしまうのですが。シシィことエリーザベトのことは今回の旅行で初めて知ったという教養のなさですが、なかなか興味深い人生、悲劇なのですが、を知ることが出来ました。この王宮のシシィの部屋には、美容に凝った彼女のトレーニング道具や美容セットなど、女性にはとても愉快な展示までありました。

この後王宮のカフェで再び一休み。結構熱心に見たため、足が棒のよう。王宮の他の展示も興味はあったのですが、結局場所もよく分からず、人に聞く気力は相当欠けていたため、王宮見学はここまでにしました。

この後はゆっくりとリング沿いを歩いて、まず楽友教会の外観を見学。この年は、ニューイヤーコンサートをBBCでお昼時に見るという貴重な体験をしました。いつも東京では夜しか見れないですからね。そういえば、ここ数年、このニューイヤーコンサートの抽選にウェブで申し込みをしているのですが、「外れました」のメールを、ここウィーンで受け取ったのでした。いつか当たって再びウィーンを訪れたい、その時は、今みたいな憂いなく、それにホテルはインペリアルがいいかなぁ、と思いを馳せるのでした。

再びリング沿いに戻り、市民公園までてくてく。ヨハン・シュトラウス像を見学した後は、シュテファン寺院に向かいます。シュテファン寺院の屋根を見ると、ブダペストのマーチャーシュ教会の屋根の模様と似ています。お互い文化が影響し合っているのだなぁ、とこんなところで実感しました。夫は教会の上に登ろうと言いましたが、もう私はくたびれ果てていて、拒否。ケルントナー通りをゆっくり歩いてホテルに戻ったのでした。

この日、結局私たちは帰国のフライトを日本航空に変更し、予定より早く帰ることにしました。原発事故が好転していなかったので。ロンドンに電話して、最後の引越荷物の集荷予定を変更してもらい、e-ticketをビジネス・センターで印刷したり、とちょっとバタバタ。後から、結局必要なかったことが分かりますが、とても不安を抱えたまま毎日を過ごせないと思い、この時点では致し方ない決断だったと思っています。日本航空なら、何があっても日本には飛ぶだろうし。

これらを済ませてしまうと少し気が楽になり、再びホテルのレストラン「コルソ」に行き、前の晩とほぼ同じ料理にワインを楽しみました。ここのシュニッチェルは本当においしいです。それに昨日も書いたけど、サービス係がとても感じがいい。一流のホテルのサービスの距離感が、とても素晴らしいと思いました。

そんなこんなでこれで落ち着いて眠れると思ったのですが、この日の晩は猛烈な風の音でなかなか寝付けず、寝付いてもまた目が覚めてしまうといった状態でした。そのうち、この嵐のせいで列車の運行に支障をきたして、予定通り旅行が続けられなくなったらどう対処したらいいだろうか、などと考えだしたら、ますます覚醒してしまい、とてもつらい夜でした。。。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その4) ハプスブルク家の都ウィーンへ [欧州鉄道旅行]

翌日は、鉄道でウィーンへ移動。昨日予習ができませんでしたが、ホテルから駅までの距離を考えると、ホテルの車の出発時間はだいぶ余裕を見てくれているようなので、それほどの心配はしていませんでした。

実際、ホテルをチェックアウトし、用意されていた車で駅に向かうと、だいぶ列車の出発時刻より前に駅に到着しました。駅構内はそれほど大きくなく、大きな出発案内を見ると、私たちが乗る予定の列車もすぐに見つかりました。9時10分ブダペスト発のその列車は、なんとザルツブルク行きでした! ポルトガルからスペインに行ったときは、あまり国をまたぐという意識がなかったのですが(時差はあったにもかかわらず)、ザルツブルク行き、なんていう列車をブダペストで見ると、久々にヨーロッパ鉄道旅行の醍醐味を味わうような気分になりました。

その列車が停まっているホームに行くと、係のおじさんが、座席まで案内してくれると言います。かなり長い編成で、私たちの席がある車両は、ターミナルの端からだいぶ遠い所でした。席に着くと、やはりチップを要求しました。ま、いいでしょう。

この車両は、オーストリア国鉄のRailjetというもので、デザインもスタイリッシュで清潔感に溢れています。これなら、これから2時間半の旅も快適そうです。

ブダペストを出てからの車窓の景色は、平原が続く、といった感じで、あまり変化がなく、漠然と今朝のニュースのことに頭を巡らせてしまいます。日本での原発事故は、ますます深刻の度を増していて、かなり悲惨なようです。France24というフランスのニュース(英語版もあります)によれば、エール・フランスやルフトハンザは東京行きのフライトを止めたとか。2週間後に英国滞在のビザが切れ、Virgin Atlanticで帰国便を予約している私たちとしては、帰国自体も危ぶまれる状況になってきました。ビザが切れてしまうのに飛行機が飛ばなくて帰れない、なんていう事態になったらどうしたらいいのだろう。それに、帰国日に合わせて東京での生活をあれこれ手配しているところを、これをまたやり直すとなったら、このような混乱した状況下だけにどうなってしまうのか想像もつきません。朝はかなり落ち込んでいて、まだこの先長い旅行を続ける気力を失っていましたが、なんとか最後まで続けようと気を持ち直してここまで来ました。

そんなことに思いを巡らせながら、ぼーと車窓の景色を見ますが、あまり目を引くものはありませんでした・・・1等車を取っていたので、ドリンクやスナックは提供されて、食事もオーダーすれば可能ですが、この日はホテル・ザッハーのザッハー・トルテをお昼にしてしまおうと計画していたので、食事は我慢です。

次に停まる駅などの案内もモニター画面に表示されて、とても安心して利用することができました。もちろん、いつも鉄道の旅には欠かせない、途中駅の発着時刻も含めた時刻表や万一乗り遅れた場合の後の列車の時刻表なども用意してはいました。今回は、オーストリア国鉄のサイトでこれらの情報を入手して、プリントアウトして用意していきました。

さて、ウィーンではMeidlingという駅で下車です。私の持っている小さなガイドブックでは、地図からはみ出てしまうような位置にあるようで、かろうじて地下鉄路線図で場所が分かるといったところです。こんなところに停まる理由は、南駅が大規模な再開発の真っ最中だからのようで、実際、Meidlingに着く前に、それらしい箇所を通りました。

ウィーンではユーロが使えるので、楽。さらには、ブダペストから来ると、スーパー洗練された先進国なので、ちょっと居心地がよく緊張が緩むのを感じます。タクシーでホテルに向かおうと思いましたが、なぜかタクシーの案内が見つからず(こういうことって珍しいのですが)、結局地下鉄でホテルそばのKarlsplatzに向かいました。

地下鉄はまあまあスムーズで(乗り換えた際に、反対方向のホームに向かってしまったり、というのはありましたが)、無事Karlsplatzに到着。駅舎がアールヌーボー風というのをガイドブックで見ましたが、なんとなくそれは眺めて通り過ぎ、さてホテルは? 出口を出れば目の前のはずが、どうも違うところに出てしまったようです。今から思うと見えていた立派な建物はカールス教会だったようですが、その時は分からず、通りを行く人もほとんどいない中、紳士風のおじさまに道を尋ねたのでした。小雨も降り出したので、急いで歩き、あ、あれはオペラ座、これで到着だ、と安心しました。そうです、ウィーンでの投宿は、奮発してホテル・ブリストルとしたのです。

ホテルに着いて、格調高いながらも暖かい歓迎を受けて、ちょっと一安心。部屋に案内されると、私たちの泊まる部屋は、廊下から少し奥まったところにあるようで、ドアを開けるとまた通路。これがなんだか高級感を一層醸し出します。内装もとてもデコラティブで、王朝文化華やかなりしウィーンという雰囲気があふれていて最高でした。もちろん、広さも十分。

少し落ち着いたところで、さっそくホテル・ザッハーに向かいました。ここはさすがに超有名なだけあって、客も多く、さばき方がやたらシステマチック。こういうところは日本に似ているかもしれません。まず、クロークに案内されてコートや傘を預けます。それからテーブルへ案内。卒業旅行生らしい、若い日本人女性がグループで来ていて、ザッハー・トルテを食べています。私も当然、ザッハー・トルテとウィンナー・コーヒーを注文。見た目、こってりと甘そうですが、そうでもなく、洗練されていて、コーヒーとの相性が抜群。最初見たときは、全部食べられるかなって不安になっていましたが(甘いものはそう得意ではないのです)、ペロッと食べてしまいました。

この後、シェーンブルン宮殿に行ってしまうことにし、再び地下鉄に乗りました。夏だとさぞかしにぎわっているのだろうと思うのですが(トイレのあまりの大きさに、それをますます確信しました)、寒く、天気も薄暗い今日のような日は、とても静かで、落ち着いて観光ができます。とは言え、庭園には当然花などなく、ちょっとさみしいのは間違いありませんけれど。宮殿内部は日本語の音声ガイドを利用し、みっちり見学。ただ、やっぱり日本の状況にかなり心ここに非ずの時があって、今振り返ると、あまり覚えていないのですよね。。。なんだかガッカリ。贅を尽くした部屋が次々と現れますが、ベルサイユほどの圧倒さではないと思います。

宮殿見学の後は、庭を歩き、グロリエッテまでなんとか到着。高台にあるので、宮殿や庭を見下ろし、その背景にあるウィーンの街並みも遠望でき、とても素晴らしい。思い切りこの素晴らしさを楽しめない心境なのがつらいところですが、それでも精いっぱい、この瞬間を味わうようにしました。

この日は(ずっとそうですが)、ホテルのダイニングで、当然ウィンナーシュニッチェルとオーストリアのワインです。ブリストルのレストラン「コルソ」はとても有名だそうで、かなり期待していました。食事もワイン(リースリングとグリューナーフェルトリーナー)もどちらも素晴らしく、私たちが心から楽しんで味わっているせいか、サービスのおじさまたちもとても暖かい心遣いを示してくれました。これはとても印象に残っています。

ところで、今ホームページで見ると、夕食のドレスコードはフォーマルとありますが、私は旅人風に荷物が少ないため、いつもジーンズ1枚しかなく、靴もウォーキング・シューズしかありません。それでも断られたこともなく、サービス係に嫌な思いをしたこともありませんでした。英語を(下手でも)丁寧に話すことと、料理やワインの必要最低限な知識を持ち合わせておくのは大切かもしれません。また、カジュアルな格好でも、だらしないのではなく、きちんと感を持っておくのも大事かもしれません。男性がジャケットを着ていれば、女性は私のようなカジュアルでも、だいぶ違うでしょう。

とりあえずウィーンに来て、少しほっとしたものの、日本の状況はまだ先が見えませんでした。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その3) ブダペスト1日観光 [欧州鉄道旅行]

ブダペストに到着した翌日は、1日ブダペスト観光です。青空が広がり、穏やかな晴天が一日続きそうでした。

ホテルのフロントでATMの場所を聞き、まずはハンガリーの現地通貨フォリントを調達。そして、何はともあれ、くさり橋を渡り、対岸の王宮をめざします。

この日は、ハンガリーでは、「1848年の革命と自由戦争記念日」という祝日になっていて、ハンガリー人たちは胸元に緑と赤のバッジを付け、やはり王宮めざして大挙していました。このような愛国心を高揚させるような日に当たり、ハンガリー国民の様子を観察できるなんてとても貴重な体験です。

くさり橋を徒歩で渡って、王宮の丘へ登るためのケーブルカー乗り場でチケットを買おうとすると、私たちがATMで下した現金では往復分が買えないということが分かりました。どうせもっと現金は必要になるだろうから、というのと、思った以上に気温が高く、着てきた服装ではとても暑くてたまらないので、いったんホテルに戻って出直すことにしました(こういうとき、ロケーションのいいホテルって便利)。

再び出直してきましたが、結局ケーブルは登りの片道分だけ購入。行き来している間に考えが変わり、下りは歩いて降りようとなったのでした。

このブダの丘を登るケーブル、かつてRailway Storyでもケーブルからのブダペストの眺めを見たことをとても良く覚えていて、実際にそれを体験できるなんて夢のようでした。本当に短い距離で、あっという間に着いてしまうのですが、ぐんぐん高度を上げるにつれ、くさり橋とドナウ川、対岸のペスト地区がよく見渡せるようになり、まさにドナウ川の真珠と呼ばれる美しい街並みを堪能することができます。

すでに丘の上には、ハンガリー人がたくさん集まっていて、美術館などは行列が出来ています。私たちは、しばし景色を眺め、対岸の立派な建造物である国会議事堂や聖イシュトヴァーン大聖堂などを確認した後は、王宮の建物は外観のみにとどめ、マーチャーシュ教会に向かいました。

もう日差しが強くなり、三月とは思えない陽気になってきました。黒いセーターだと背中が暑い・・・この王宮の丘から、マーチャーシュ教会前の三位一体広場まで、この祝日のせいでしょうか、民族的なお土産屋や屋台などが軒を連ねて、とても興味深い。今振り返ると、もっとじっくり見れたら面白かったと思うのですが、この時は、朝テレビで見た日本の原発事故のことが頭にこびりついて、心ここにあらず、の状況でした。時々、はっと我に返り、こんな人込みでぼんやりしていたら危ないから気を付けなくては、と思うのですが、また気が付くと、日本のことを考えてしまいます。

漁夫の砦まで来たところで、日本人観光客がいて、なんとなく気分が楽になりました。

あいにくマーチャーシュ教会は工事中で中に入れず、この後、丘の一番端のウィーン門まで散歩し、再びケーブルカー乗り場の所まで戻ってきてから、丘を降りました。すでにお昼が近くなっていましたが、朝よりも一層丘をめざすハンガリー人の数が増えていて、徒歩で登る人たちも途切れることなく続いています。くさり橋を王宮に向かう人も多く、トラムも超満員です。この後、あの丘はどうなってしまうんだろうか、と不安にならずにいられません。

私たちは再びホテルに戻り、ホテルのカフェで軽い昼食にしました。

その後はドナウ川沿いを北に進み、国会議事堂の外観を見学。ちょうど衛兵の交代もあったりで見学しましたが、この国会議事堂の周囲もハンガリー人が列をなしています。どうも中に入る列のようなのですが・・・どこもあまりの人の多さにびっくりします。日本では建国記念日なんて、最も陰の薄い祝日の一つのように思うのですが、このように国の独立や誕生を祝うのってとても大事に感じて、ハンガリー人の楽しんでる様子はとても印象に残るのでした。

次は聖イシュトヴァーン大聖堂へ。ここは中に入り、ドームの上まで登りました。ここにも、卒業旅行生っぽい日本人観光客が。。。その後、イシュトヴァーンの右手のミイラなるものを見に行きましたが、さっぱり分かりませんでした。

この後、大聖堂前の広場に軒を連ねるカフェの一つに入り、しばし休憩。そして次は英雄広場と市民公園に行くことにして、遂にブダペストの地下鉄に乗ることになりました。ブダペストの地下鉄と言えば、歴史的にとても古く、貴重なもので、世界遺産に登録されているほど。聖イシュトヴァーン大聖堂のすぐそばに地下鉄駅があるのですが、タイルの壁でやたらレトロ。地下1階のような、とても浅い地下をおもちゃのような鉄道が走っていました。ここでは結局切符は窓口で買って乗りましたが、なかなか緊張感を感じました。危険、というのではないのですが、ちょっと馴染めない空気感。

さて、しばらく乗って英雄広場前の駅で下車。マジャール民族による国土征服1000年を記念して造られた広場とのことで、愛国的祝日の日にぴったりの場所のようです。広場の向こう側の市民公園は、ぽかぽか陽気も手伝って、家族連れのハンガリー人が大勢来ていて、それぞれ思い思いにくつろいでいます。私たちも池の前のベンチに陣取り、普通のハンガリー人たちが祝日を楽しんでいる様を観察しました。アジア民族の血が混ざっているとは言っても、だいぶ混血が進んでいるようで、東洋人の私たちから見れば西側の人たち、のようですが、そうは言っても西ヨーロッパとはまただいぶ違う雰囲気です。この馴染みのなさから、地下鉄などでは居心地の悪さを感じたのでしょうか。

しばらく休んだ後、再び地下鉄で市の中心部に戻り、明日鉄道に乗る予定の東駅の予習を試みたのですが、乗換駅で切符がうまく変えず、断念。券売機に現金を入れたら、お金が吸い取られただけで、切符が出てきませんでした・・・共産圏のようです。それで、小銭は無くなってしまい、窓口もないので、諦めることにしたのです。やれやれ。

本来だったら、この後ヘレンドの本店に寄って、お土産を購入するところだったのですが、すっかり日本の状況に落ち込んでいた私たちは、もうそんな気分ではないとホテルにすごすごと戻ってしまいました。

ブダペストの観光は、これで終わりです。この日の夕食も前日と同じホテル1階のレストランにし、この日は祝日のせいだったか、シャンパンのサービスがありました。3種類ぐらい味見をして、結局Gossetに決めました。Gossetのシャンパーニュなんて久しぶりで、とても味わい深いものでした。そして昨晩と同様に、ハンガリー産ワインの3種飲み比べ(昨晩は説明をきちんと理解できず、誤って注文して高くついてしまったので、この日の晩は改めて選び直しです)を楽しみました。窓の外は、美しくライトアップされたくさり橋とブダ王宮。ハンガリーの祝日や日本での悲惨な状況など、自分でも感情をどう扱ったらいいのか分からない状況のまま、この日が終わりました。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都物語 (その2) ドナウの真珠ブダペストへ [欧州鉄道旅行]

出発当日、この日のフライトはマンチェスター空港から午後の早い時間です。今回もJet2.comというLCCですが、ヴェネツィアに行ったときと同じなので、心境としては落ち着いた感じです。地元からTransPenine鉄道に乗り、最後のPeak District区間を行くのですが、どうも日本で原発事後が深刻になりつつあるというようなニュースを聞き、美しい風景も気もそぞろにしか見ることができません。

列車は予定通り到着し、そのため、フライト時刻よりだいぶ早く到着しましたが、Jet2.comのカウンター前でしばらく時間をつぶし、案内の後にチェックインしました。

空港でこれまた最後のハンバーガーをいただいていると、巨大な飛行機が一機着陸しました。私たちが食事をしているところの近くが駐機場のようで、近づいてくる巨大な飛行機を皆興味深げに眺めています。それは、Emirate航空のエアバスA380で、その巨大さを間近に見ると異様なほど。人気があるといいますが、私は正直遠慮したい、と思ってしまいました。

フライトは予定通りに出発。マンチェスターからブダペストまで約3時間のフライトです。私たちは飛行機の右側座席を取っていたのですが(座席を事前指定すると、それ自体に料金がかかります)、ブダペストが近づくと、右手にドナウ川とそれに架かるくさり橋らしきものが! 対岸に王宮が見え、ブダペストの中心を上空から楽しむことができたのです。それはもう素晴らしい美しさで感動的でした。

無事着陸し、飛行機から降りるとターミナルではなく、地面を歩いてターミナルに向かいます。これは地方空港並みの設備です。ターミナルに入るとすぐ、素気ない入国審査のボックスがあり、いかにも旧共産圏です、といった風情です。入国審査を通過すると、すぐに預け荷物のピックアップのコンベアが回っていて、あまりの空港の小ささにあぜんとするほど。もちろん、出口もすぐそばで、最近の巨大空港から見ればらくではありますが、一国の首都とは思えない規模です。まだまだハンガリー、経済的にはこれからなのですね。。。

出口を出ると、この日宿泊予定のSofitelから迎えの車が来ていました。実のところ、ブダペストの空港から市内までの交通は悩みの種でした。ガイドブックによるとタクシーはぼるし、ミニバスみたいなものは、人数が集まり次第出発、とか、あまり使い勝手がよくないようです。市内のどの辺りに停まるかの情報も不十分ですし。ホテルの送迎も調べてみたのですが、明記しているところは見つからず、逆にマリオットなどはサービスを提供していません、という明記があるほど。それでブダペストは諦めようかと思ったほど。結局ウェブで、タクシーがゾーン制になったと知り、行くことを決定したのでした。それで、自分でSofitelのサイトから予約をしたところ、割とすぐにホテルの担当者から直接メールが届き、希望すれば送迎を手配してくれるとのことでした。もちろん料金は割高ですが、利便性、安心を買うことにし、これを利用することにしたのです。正直、このサービスはとても嬉しいと思いました。

タクシーの車窓から見るブダペストの郊外は、これまで旅してきたヨーロッパの街並みとはだいぶ異なる雰囲気。そう、ここはマジャール人の国ですからね。文化も違うのだろうな、と想像できます。ただ、ブダペストの市街地に入ると重厚なヨーロッパ的石造りの建造物が増えてきます。タクシーはドナウ河畔に出て、北へと向かいます。お、くさり橋か、と思うとそれは、別の橋で、自由橋でした。さらに進んで、いよいよくさり橋のたもとまで来たところで、ホテルに到着です。

Sofitelも周辺のホテルと同様、くさり橋と対岸のブダ王宮を望める絶好のロケーションにあります。ここでは、くさり橋を眺められる部屋を指定していましたが、実際に目にしてみると圧倒されるほどの素晴らしい景観です。もうだいぶ陽は落ちてしまい、薄暗くなっていましたが、逆にライトアップされたくさり橋と王宮の美しさにいつまでも見惚れてしまうほど。景観は言うことありませんでしたが、ホテル内のインテリアも落ち着いていてとても居心地がいいです。このホテルは、内部が巨大なアトリウムになっていて、とても開放的な空間が広がっていました。

少し落ち着いたら、夕食にちょうどいい時間になっていたので、ホテルの1階にあるレストランで食事をしました。レストランもドナウ川に面しています。ただ、Sofitelは広場一個分中に入ったところに建っているので、若干距離感がありますが。ここで、ハンガリー名物赤パプリカの鶏肉の煮込みとハンガリー産ワインを堪能し、とりあえず無事にここにいられる自分たちに感謝するのでした。

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最後のヨーロッパ旅行 - 中欧四都市物語(その1) [欧州鉄道旅行]

3月後半のイギリスからの帰国直前に、中央ヨーロッパに旅行に行きました。訪問先は、ブダペスト、ウィーン、プラハ、ドレスデンです。本当はもっといい季節に行きたかったのですが、さすがに1年の滞在期間では行きたいところが多すぎて、そうこうしているうちに9月になり、もう帰国直前しかなさそうだ、となったわけです。この地域は寒いので、出来るだけ暖かくなるのを待ったほうがいいだろう、との思いもありました。

全体のスケジュールはこんな感じです。

Day 1 イギリスからブダペストまで飛行機で移動。ブダペスト泊
Day 2 1日ブダペスト観光
Day 3 午前中にブダペストから鉄道でウィーンに移動。その後ウィーン観光
Day 4 1日ウィーン観光
Day 5 午前中にウィーンから鉄道でプラハに移動。その後プラハ観光
Day 6 プラハ観光。夕方鉄道でドレスデンに移動。ドレスデン泊
Day 7 1日ドレスデン観光 夜、夜行列車City Night Lineでケルンに移動
Day 8 ケルンからICEでブリュッセルへ移動、ブリュッセルから最後のユーロスターでロンドンへ帰国

今回は、多くの国をまたがる旅行で、スケジュールはRail Europeで大まかに立てるのですが、この他各国の鉄道会社のホームページで時刻表を確認して、情報の整合性を確認したりで結構手間をかけました。

出発前は毎日のように天気予報をチェックし、服装を検討。なぜなら、この旅行の直前にあらかたの引越荷物を搬出してしまうので、できることならかさばるコートなどは送ってしまいたい、と思っていたからです。チェックした天気予報によると、私たちが旅行に出かける前の週はかなり暖かいのですが、私たちがウィーンに移動する頃から再び寒波が訪れるようでした。

実際、引越荷物の搬出日に日本では大震災があり、その後の原発事故が日々進展していく中で、しばらく旅行中はつらい毎日が続きました。日本はどうなってしまうのだろう、そんな先行き不透明な日本に自分は帰らなければならない、とあまり旅行を楽しむことができなかったのは確かです。今も被災地で暮らしている方のことを思うと、こんな旅行記を書くのはどうかな、とも思うのですが、記録としてやっぱりなんとか残しておこうと思っているところです。

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本当に最後のイギリス鉄道旅行 セトル・カーライル・ラインとイングランド北西部日帰り一日列車の旅 [英国生活]

イベリア半島旅行から帰ってすぐに、天候のいい日を見て、最後の鉄道旅行に出かけました。イングランド北西部を走るセトル・カーライル・ラインです。

この路線、これまでに何度も紹介している「イギリス 鉄道の旅」

イギリス鉄道の旅 (地球の歩き方BY TRAIN)

イギリス鉄道の旅 (地球の歩き方BY TRAIN)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2006/03/10
  • メディア: 単行本


でも紹介されており、この紹介文だけだと行くべきかどうしようか、と迷うのですが、カーライルか湖水地方のホテルでこの路線を紹介するチラシを見たり、BBC2で放映していたGreat British Railway Journeysで取り上げられたりするのを見て、やっぱりやり残した、と後悔するのは嫌だから、と乗りに行くことにしました。

以前、キースリーの保存鉄道に乗りに行ったときに、リーズからキースリーまで乗っているので、勝手は分かっていて、リーズまでCross Country Trainsで移動します。Delayの案内があり、想定到着時刻が来ても来ないのでじりじりはしましたが、リーズで40分ぐらいの待ち時間があったので、結果的にはちょうどいい時間になりました。リーズの駅でサンドイッチやコーヒーなどお昼に食べるものを買い込んで、いざ出発。

以前乗ったときも乗客が多くてびっくりしたのですが、この日もかなりの乗客が乗っていました。セトルまで来ると、そこから停まる各駅の駅舎が統一されていて、おもちゃのように可愛らしい。ボランティアのおじさんが、沿線風景の解説をしてくれたりします。

最初は、イギリスらしい田園風景が続くのですが、高度を上げていくにつれて、周りの景色はムーアのようになっていきます。天気も悪くなり、どよ~んとした、ある意味イギリスらしい空模様。見どころの一つである、リブルヘッド高架橋もぼんやりとしか見えませんでした。そして、イングランドで最も標高が高いというデント駅に到着。かなり天気が悪いです。しかし、その標高はわずか350mしかないそうです。この近辺で、ガイドのおじさんが忠犬の物語を披露。どうもこの路線の建設と関係があるようで、みなさん、「Oh!」とちょっと悲しそうな声を上げたり、あるいは笑ったりしています。あいにく、私たちには細かいところまで分からなかったのですが。

再び、高度が下がり、Penine山脈を超えて、景色が変わってきました。再び田園風景です。マンチェスター・シェフィールド間のピーク・ディストリクトを走る路線もとても美しいのですが、この路線も他のイギリスの路線と比べると少しダイナミックな風景が楽しめてなかなか素敵です。と言ってもスイスとかと比べないでください。イギリス的に全体は穏やかな風景なのですが、相対的に変化が大きく、またダイナミックさがあるという感じです。

リーズを発って2時間40分、いよいよ終点カーライルに到着です。ああ、終わってしまった。でも素晴らしい景観を本当に楽しむことができました。列車がカーライルに到着する前に、ボランティアのガイドのおじさんが絵葉書とパンフレットをくれました。どうやら、私たちがあまり話が理解できていないのを見ていて、気にしてくれていたようなのです。イギリス滞在の1年間で、このようなイギリス人の温かい心遣いに何度も触れる機会があって、本当に嬉しい。このような体験をさせてくれたイギリスには感謝です。

さて、カーライルからはVirgin Trainsで南に向かいます。列車の時間まで間があるので、カーライルの街を懐かしみながら散策。5月に訪問したときに泊まったホテルの前まで歩いて、再び駅に戻りました。またカーライルを歩けるとは思っていなかったので、少し感動。

Virginでも最後の乗車を堪能。First Classだとアルコールもただなので、最後だからといろいろもらってしまいました。確かプレストンで乗り換え、マンチェスターで乗り換え、地元の街まで戻ったのでした。

先ほど紹介したBBC2の番組ですが、本を出版すると番組でも紹介していたのでAmazonで検索したところ、5月ごろ配達可能とのこと。日本のアマゾンで注文し、日本の住所に届けてもらうことにしました。

これがその本ですが、4月には配達され、まだイギリス生活・旅行の記憶がフレッシュなときに届いて、ページをめくって写真を見るたびに感激していました。1年間の滞在でよくまあ、と思うほど、これで取り上げられている路線の多くを旅しています。このように思い出も形になって、1年間締めくくることとなりました。

Great British Railway Journeys

Great British Railway Journeys

  • 作者: Charlie Bunce
  • 出版社/メーカー: Harpercollins Pub Ltd
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: ハードカバー


イギリス鉄道旅行記は、これで終わりです。
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イベリア半島を列車で横断 ポルトガル・スペイン旅行(その9) [欧州鉄道旅行]

翌日タクシーで空港へ向かいます。前の日に歩いた、ヤシの木が両側に立ち並ぶ通りを進みながら、きれいに晴れたバルセロナの青空を眺めると、「昨日予定通り列車で移動できていたら、このバルセロナのいい天気を味わうことができなかったんだなぁ」と皮肉な巡り合わせに複雑な思いがしました。

その日乗る飛行機は、初めて名前を聞くVuelingという航空会社が運航するもので、どうもバルセロナの地元のLCCのようなのですが、プリンタを使えない(ホテルで頼んだりするのが面倒)ので、オンライン・チェックインを済ませたか、紙でなくてSMSのメッセージでチェックイン可能という処理にしたと記憶しています。

空港カウンターでは、スペインの可愛らしい女性たちが明るいイエローの制服に身を包み、とても好感が持てる雰囲気です。SMSメッセージをそこにいた女性に見せて、搭乗券をもらいました。実際安心したのは、飛行機が離陸したときです。こちらでは、最後の最後まで何が起こるか分からないので・・・

飛行機はパリのオルリー空港に到着。オルリーに来るのは初めてでしたが、今やこじんまりとしているせいか、荷物もすぐに出てきて、とにかく、待ち時間や移動時間が少なくてすみました。パリにありながら、飛行機から降りて、これほど次の行動に早く移れるなんて素晴らしい。

そこからはタクシーで東駅に移動。タクシーでパリ市内の中心を観光できるとは思いもよらなかったですが、でもエリプソスに乗ってみたかったし、夜行で目覚めるパリの朝というのを経験したかったので、トラブルに遭遇したという以上に、その無念さのほうが大きいのでした。

東駅からはユーロスターで帰国。次の列車までぎりぎりで、イギリス入国に列ができていたのでちょっと焦りましたが、後はスムーズでした。

それにしてもこれだけ旅行したら、こういう目にも遭いますね。パリのストは1日違いで逃れたのですが、今度は逃げられませんでした。
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イベリア半島を列車で横断 ポルトガル・スペイン旅行(その8) バルセロナ観光そして・・・ [欧州鉄道旅行]

バルセロナ観光の最初は、まずフランサ駅の下見です。この日の夜、パリへ向けて豪華寝台エリプソスで移動するのですが、その出発駅がフランサ駅なのです。ホテルそばのシウタデリャ・ビラ・オリンピカから一駅だけ地下鉄に乗り、バルセロネータ駅で下車。この日1日地下鉄をだいぶ利用しそうだったので、10回分の回数券を購入しました。出てきたものがカード1枚だったので、2人でどうやって使うのかと思い、買い間違えたから返金してもらおうとしたところ、係の女性が「ついて来なさい」と言って、使い方を教えてくれました。一人が入場したら、そのカードを次の人に渡し、その人はまた入場すればいい、とのこと。え~、ビックリ。所変われば、仕組みもいろいろですね。確か、パリで買った地下鉄の回数券は、旧式だったような記憶がありますが。

さてフランサ駅。フランスへ向かう列車が出発するところからこの駅名がついているようですが、ここもサンタ・アポローニャ駅と負けず劣らず何もない駅でした。待合室もきちんとしたものがなくて、座席数も少ない。なんだか心配だなぁ、と思ったのですが、その心配は別の形で実現しました。

この後、再び地下鉄に乗って、バルセロナに来たからには誰もが行くサグラダ・ファミリア教会へ向かいます。地下鉄を降りてから少し方向を間違えたりしたものの、無事到着。入場券を買うまでに、長い列が出来ていました。この入場券を買う側は、サグラダ・ファミリアのうちでも新しい塔が建っている側で、最初それを分からずに、「ずいぶん新しいなぁ、写真で見て知っているものと違うみたい・・・」などと思ったのでした。あいにく、この時は工事の関係か、上に上がることはできず、一階部分と地下の展示を見学したのみでした。それで外に出て、「あ~、こちらが見慣れたほうだ」と分かったわけです。

サグラダ・ファミリアの見学の後は、地下鉄でディアゴナルへ移動し、グラシア大通りを歩きながら、カサ・ミラ、カラ・バトリョを外観のみ見学。回りと全く切り離されたかのようなガルディの独創的な建築物は面白いけれど、素人の私にはなかなか難しいですね・・・あまり理解できません。グラシア大通りを歩いているうちに、よさそうなレストランを見つけたので、そこでお昼にしました。デリのようにタパスがカウンターに並べられていて、自分で好きなものを選んで食べれるようです。いくつかピンチョスやトルティーヤ(再び)を選んでいただきました。

その後地下鉄に乗り、今度はゴシック地区の散策。この辺りの古い建造物、迷路のような道路、狭いところに軒をつらねるカフェなど、とても素敵な雰囲気です。これを過ぎて、カテドラル(外観のみ)、王の広場とそれを囲む王宮、レイアール広場の街灯などを見学し、ランブラス通りに出ました。ここに来ると、だいぶ庶民的な雰囲気のようです。ここからすぐそばのグエル邸に行ったのですが、ここも工事中か見学不可。。。私のガイドブックでは、2007年現在工事中のため休館中、とあるのですが・・・いつから休館中なのでしょうか。グエル邸は結構楽しみにしていて、そのためにカサ・ミラもカサ・バトリョもパスしたので残念でした。

それでとりあえず休憩することにし、ランブラス通りとその近辺を物色し、そこそこのところで一休み。そこでガイドブックを見ていると、ランブラス通りの端にあるコロンブスの塔は上に上がることができる、と分かったので、そこに行くことにしました。サグラダ・ファミリアでも上に上がれなかったから、ここでバルセロナの街を一望するのもいいだろう、と思ったわけです。それでそこに向かい、狭いエレベータで塔の上へ。塔もせまくて、すぐ一周できてしまうのですが、ここに上がってようやく、港町バルセロナというのを実感することができたのでした。この日はあいにく雨が降ったり止んだりの冴えない天気で、しかも気温も低くて、南国バルセロナを実感できなかったのですが、、、ここで目にした海のそばのショッピング・センターを見に行くことにして、エレベーターを呼びます。そう、降りたいときはボタンで呼び出すんですよね。イギリスで物が常に壊れている様を目にしてきた私は、これが壊れていたらどうしよう、とちょっと恐怖を感じたのでした。

そのショッピング・センターは観光客的には特に面白いものはなく、この後ゆっくり夕食予定のお店に向かうことにしました。フランサ駅のそばのパエリアを食べれるレストランです。曇り空の下、バルセロナのマラソンなどでよく目にしたヤシの木が両側に並ぶ通りをゆっくり歩くと、そのレストランに到着。パエリアを食べずにはスペインから帰れない、という気持ちもあったのですが、このお店は午後ノン・ストップで営業しているのが有難いのです。夕食にはまだ早い夕方でしたが、スペイン最後の夜をパエリヤで祝ったのでした。マドリッドにはいろんな種類のパエリヤの写真を看板代わりにした安そうなお店が乱立していましたが、このレストランは老舗でピカソ、ダリも来たことがある、とのことで、きちんとしたものが食べれて大満足。私たちが食べた時間は、お店はガラガラで、日本人ばかり3組がいただけでした。1組はるるぶを持っていたので、そちらにも紹介されていたのでしょう。

この後ホテルに戻り、ラウンジで時間調整した後、フランサ駅へ。そして、フランサ駅の発着案内を見ると・・・番線のところにBUSとあります。??? そして運行会社名のところにAUTOBUSとあり、もしやこれはバスによる代行ってこと??? と一瞬頭の中が真っ白になりました。待合室には日本人の観光客がいて、やはりエリプソスでパリに行くことを予定しているとのことで、みなぐったりしています。フランス人の客もいて、現場は混乱しています。私も最初はバスで帰らざるを得ないと思っていましたが、冷静になって考えると、夜行で12時間かかるところをバスだと何時間かかるかも分からないし、トイレ付きバスかも分からないとのことで、大変な苦行になってしまいそう。これは別の旅程で帰ったほうが自分たちのためにはいいかもしれない、と思い直し、再びホテルに戻ることにしました。

ホテルでフランサ駅に向かうタクシーに案内してくれたポーターさんが、私たちが戻ってくるのを見てびっくりし、何が起こったんだという顔をしています。私たちも怒ってて英語でまくしたて、もう一泊させて! とお願いしました。フロントでずいぶん待たされたのですが、どうも同じタイプの部屋を探してくれていたようで、その心使いに本当に感謝の気持ちでした。

部屋に戻るとPCで翌日のフライトを探し、パリ行きの便を予約。これにも1時間ぐらいかかりました。それでようやく休むことができたのですが、なかなか安眠はできませんでした。。

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イベリア半島を列車で横断 ポルトガル・スペイン旅行(その7) マドリッド観光2日目&スペイン高速鉄道AVE乗車体験 [欧州鉄道旅行]

マドリッド観光2日目の最初は、アトーチャ駅の見学です。この日の午後、アトーチャ駅からスペインの誇る高速鉄道AVEに乗ってバルセロナまで移動するため、下見をしておくのが目的です。Radissonホテルからはプラド通りを南に進み、大きな交差点に差し掛かったところなので、道は簡単で、それほど距離もありません。

アトーチャ駅に入ると、南国の木々などがたくさん植わった植物園か温室に来たのか、と思うほどの緑豊富な空間に迎えられました。そこをしばらく行くと、プラットホームがあり、AVEの乗り場は確かエスカレーターで数階上がったところにあったと記憶しています。この通り比較的広いので、下見しておくと、時間感覚が分かって余裕を持って行動できます。休憩するところもたくさんありそう、とか、そういうのも見ておきます。

アトーチャ駅の下見の後は、道を挟んですぐ向かいにある国立ソフィア王妃芸術センターに向かいました。ここにはマドリッド観光の大きな目的の一つ、ピカソのゲルニカがあるのです。この美術館にはあいにくフロアマップはないそうなので、ゲルニカの展示している場所を聞き、まずそこに直行しました。予想したとおり、たくさんの観光客が見ていましたが、みな遠巻きに眺めています。なぜかと思ったら、一定の距離より絵に近づくと、ブザーがなって警告するのです。すごい。ただ、ゲルニカはとても大きな絵なので、確かにこの程度の距離感を持って鑑賞したほうが、全体がよく見えると思いました。ミロの作品もいくつか見た後、ダリの絵を見たいと思い、座っている学芸員に場所を聞くと、みな英語をしゃべらないのです・・・できないのでしょうか? スペイン語で一生懸命説明してくれるのですが、さっぱり分かりません。何人かに聞いて、結局たどり着くことはできましたが、かつてフランスで言われていたことがここマドリッドにも当てはまるとはね、ビックリです。

この後は、国立考古学博物館に行くつもりでプラド通りをひたすら北上し、途中シベーレス広場や広場を囲んで建つスペイン銀行、中央郵便局、アルカラ門などの建造物を眺めながら進みました。しかし、結局のところ国立考古学博物館だと思って入ったところはそれではなく、なんだか疲れてしまったので、博物館を探すのは止めてしまいました。

それで、もうお昼にしようと思い、スペイン銀行のところまで戻って、初めてマドリッドで地下鉄に乗ることにしました。プエルタ・デル・ソルまでわずか2駅ですが、想像していたよりも、ずっと明るく、車両なども最新な感じで、マドリッドの生活レベルというか経済の発展レベルが相当高いと思わせるものでした。自分の中では、勝手に「ヨーロッパの田舎」と思い込んでいたのですが(ポルトガルは実際そんな風情で、それもそれで良かったですが)、マドリッドはもっとずっと先進地域なのだと思いました。ということで、どこに行っても地下鉄に乗ると、そこの生活者の雰囲気や経済の状況なんかも肌で感じることができていいかもしれない、と思いました。

プエルタ・デル・ソルで地下鉄を降りて、マヨール広場へ。そこで、カフェの一つに入り、お昼にしました。ここのトルティーヤはとてもおいしくて感激。後はパエリヤをどこかで食べなくては。

昼食後はゆっくりHuertas通りをホテルに向かって歩きました。ここは車両進入禁止で、実際車が入れないように、柵が2つ道のところどころに立っているのですが、私たちが歩いていたとき、後ろから車の来る音が。ん? と思うと、警察の車両で、なにかで電波を発すると、柵がその電波を受信して地下に少しずつ潜っていくのを目撃しました。ひぇ~、進んでる! これにはちょっとビックリでした。

ホテルを出て、今度は荷物を持ってアトーチャ駅へ。かなり余裕を持って行ったので、植物園の横でしばらく休憩。20~30分ぐらい前に、番線の案内があってプラットフォームへと移動となりました。いよいよAVEに乗車です。前に何度も書いたRailway Storyを初めて見たときが、このAVEを紹介している番組だったため、AVEは非常に印象に残った電車です。なんでも何分か遅れたら、料金を全額払い戻すとか。マドリッド~バルセロナ間のAVEの開通は比較的最近のようで、嬉しい限りです。

時刻通りAVEは出発。瞬く間にスピードを上げて快走していきます。しかし揺れは小さく、それほどのスピード感を体では感じません。とても乗り心地がいい。車両の前方に電光掲示板があり、現在の運行速度を表示しています。あいにく、300kmを目にすることはできませんでしたが、296kmというのはありました。

私たちの取った座席は、Preferenteという上級クラスで、食事が付いています。スペインの可愛い女性たちがサービスをしてくれて、これはユーロスターやタリスよりも日本のサービスに似ている風です。スペイン産のワインも豊富で、横のおじさまなどは、やはり産地名で頼んでいます。う~ん、さすが。私たちもイギリス滞在中飲むことのなかったRibera del Dueroと、あまりよく知らなかったSomontano(テンプラニーリョとカベルネ・ソーヴィニョンとのブレンド)というのを選択。Ribera del Dueroをその場でいただいて、Somontanoは持って帰って、イギリスの自宅で飲みました。どちらもおいしい。食事は、オードブル、スターター、メイン、デザートとフルコースなので、これを頂いたのは夕方4時頃でしたが、もう夕飯はこれでいいね、となりました。

列車は3時に出発して、5時40分頃バルセロナのサンツ駅に到着。ここからホテルまでタクシーを利用しました。車窓から見るバルセロナの街もなんだか素敵。マドリッドのほうが高級感や伝統を感じさせますが、バルセロナはもっと近づきやすい開けた雰囲気があるように感じました。

ホテルは、シウタデリャ公園の南にあるPullman Barcelona Skipper。これもAccorグループのホテルです。翌日の夜行がフランサ駅から出るので、近い所、と思ったのですが、歩いてはいけないようでした。。。部屋から駅のドームがよく見えるんですけどね・・・Accorグループのホテルにはだいぶ宿泊実績があって、会員ランクもシルバーに上がっていたためか、角部屋のものすごい広い部屋を予約した料金で利用させてもらい、もう感激。ただ、sea viewではありませんでしたけど。

この日はAVEで夕食が済んでしまったので、ホテルのラウンジでつまみとワインで終わりとしました。やっぱりホテルのレストランも20時スタートのようでした。


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イベリア半島を列車で横断 ポルトガル・スペイン旅行(その6) マドリッド観光 [欧州鉄道旅行]

Radissonで一眠りした後、プラド通りを渡ってすぐのプラド美術館へ。これがマドリッドの一番の楽しみでした。ここはホームページを調べたものの、事前のチケット購入が今ひとつわからなかったので、現地にて購入。かなりの列が出来ていて、しかもなんだか列によって進み具合が違い、私たちはずいぶん待たされました。しかも、マドリッドはリスボンと違って寒い! この日の予想は最高気温が10度程度でした・・・ クレジットカードでチケットを購入しようとするとパスポートなどのIDを要求されるのもマドリッド(スペイン全体がそうなのでしょうか?)の特徴。翌日も同じ目に遭いました。また相対的に日本人観光客が多いと感じました。卒業旅行シーズンのせいかもしれません。

ようやくチケットを購入し入場すると、最近はどこでもある荷物チェック。ここでは、傘がだめだと言われました。もう場所によって違うので全くやっかいです。でもこのプラド美術館は、イタリアの美術館と違ってフロアマップがあるのが有難い。お目当てのところを中心に効率的に鑑賞することができました。

今東京に来ているゴヤの「着衣のマハ」も、このときは、「裸のマハ」と並んで展示されていて、2人のマハの表情の違いなどを間近に見比べることができたのは貴重な体験でした。この他のゴヤの名作、ベラスケス、エル・グレコなど、素晴らしい作品群を鑑賞できて、もう満足。これでマドリッドに来た目的のほとんど(でもすべてではない!)が達成です。

プラド美術館鑑賞を終えた頃は、もうお昼頃だったため、ホテルの脇にあったカジュアルなレストランで簡単なランチにしました。ほとんど英語が通じないのですが、サンドイッチらしいものを注文。スペインはイタリアとは違うおいしさがあって、これまた楽しい。

お昼の後は、王宮方面の散策へ。Huertas通りを西に進み、この間、バルらしいものを見つけては夕食のために物色。いくつか良さそうなところの目星を付けつつ、先に進みます。というのは、やはりレストランは20時頃からオープンらしく、この日も寝不足なため早く寝たいため、午後ずっと開いているバルのほうが都合がいいかな、と思ったからでした。スペインワインにおつまみをいくつか食べられれば十分ですしね。Huertas通りはとても雰囲気のいい小道で、散歩するだけで楽しい。マドリッドの建物は、漆喰の壁に縦長長方形の窓がずらっとならび、細い欄干が窓辺を飾っていてとても素敵です。

だいぶ歩いて、待望のマヨール広場へ。以前、知り合いの方がマヨール広場を収めた写真をカレンダーにしたものをいただいたことがあって、とても素敵なので、是非来たいと思っていたところでした。四角い広場をマドリッドらしい建物が取り囲んでいて、広場から出るための場所には、アーチがあって、ヨーロッパ的で素敵です。カフェやレストランが軒を連ねていて、明日のお昼はここのどれかだな、と考えつつ、広場を斜めに横切って、先に進みます。ビリャ広場を過ぎて、大きな通りにでると、アルムデーナ大聖堂と王宮が姿を現します。

王宮には入場料を払って見学。ところが今振り返ると何も覚えていないんですよね。あまり印象に残るものがなかったんでしょうか・・・ただただ、大きくて壮大、広大な空間を使っていること、スペインの台地が見渡せて、マドリッドは近郊まで大きな都市だなという印象を受けたこと、なんていう些末なことしか覚えていないのでした・・・

この後、スペイン広場に向かい、セルバンテス像を眺めた後、グラン・ビア通りを散歩。この辺りになると、普通の都市の繁華街っぽい雰囲気で、とても賑やか。途中で、リヤドロが目に入ったので、とっさにお店に飛び込んでしまいました。リヤドロが大好きで、でも絶対スペイン以外のところでは買わない、と決めていた私は、スペインに来れることになって、プラド美術館の次の目的としてリヤドロ購入を考えていました。リヤドロ本店に行くつもりでいたのですが、ちょっとホテルや観光地から離れているな、と思っていたので、ここで買えたのはとてもラッキー。実は事前にロンドンのリヤドロ(ピカデリーからリッツホテルに向かう通りにあります)で購入の候補を検討していたのですが、ここに来たら、スペイン限定品のフラメンコを踊る少女なるものがあったのです! 大きさも価格も、購入候補とほぼ同じだったので、迷うことなくそれに決定! マドリッドの2つ目の目的もこうして達成されたのでした。

この後、プエルタ・デル・ソルまで散歩した後は、記憶が飛んでて覚えていません。。。この日の夜は、Huertas通りで物色したバルに行き、スペインの赤ワインとチョリソーなどのタパスをいただいて終わりとなりました。

ところで、Radissonホテル、内装は斬新と前回書きましたが、部屋の中のデザインもその通りで、斬新なのはいいのですが、機能面で落ちてしまっているところが多々ありました。例えば、ルームキーを差し込むと、キーカードが横に出てしまい、部屋の扉の開け閉めができないのです。カードは縦に入るのが普通だと思うのですが・・・それでも、部屋に早く入れてくれたことは大きなポイントですし、ルームサービスで頼んだ朝食が印象に残るほどおいしかったのも◎です。

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